秋 桜」は、会員に配られたものです。

会報
第13号

2002年5月1日

コスモス
秋 桜

CJD薬害訴訟を支える会事務局
〒520-3254
滋賀県甲賀郡甲西町岩根中央3-5-2
Tel/Fax 0748-72-1478

 

>>> 悲しみと怒りをバネにして <<<

全内容

ヤコブ病訴訟和解確認書調印式における

坂口大臣の発言(抜粋)

後世に残るたたかいに参加して

 薬害ヤコブ病大津訴訟弁護団   団 長 中島   晃

幾多の困難を乗り越えて

薬害ヤコブ病東京訴訟弁護団   団長 畑山 実  

薬害ヤコブ病訴訟 大津・東京弁護団

尾藤 廣喜、白井 斂、三重 利典、阿部 哲二、永井 弘二、小池 純一、大脇 美保、近藤 公人、荒川 葉子、国分 妙子、川村 暢生、吉田 雄大

医師の現場から

片平 洌彦、立石 潤、山口 研一郎、

薬害被害者として

上本 善有、矢倉 七美子、川田 龍平

音楽で心の安らぎを

後藤 悠仁、松本 克己、森 みち

原告−提訴より五年を経て

谷 三一、小山 俊成・有馬 俊光、E・W、高原 和幸、小泉 寛人、椿 園江・真奈、林 勲男、上田 衛代、加藤 芳和、小栗 光夫、鈴木 仁志・陽子・博光、池藤 勇、山村 伊吹

その他の方々

井本 里士、伊豆 百合子、坂本 洋子、谷 八寿男、大澤 一夫・信子

ご支援ありがとうございました

あとがき

ヤコブ病 年表

ヤコブ病訴訟和解確認書調印式における

坂口大臣の発言(抜粋)

 『一九七三年、日本は医療用具として脳硬膜製品の輸入を承認いたしましたが、それが原因となり、かくも悲しい現実が訪れようとは 予想のできないことでありました。』…略… 
 『医療に責任を持つ立場でありながら、命という償うことのできないものをなくし、あるいは、再起不能にした責任は重大であり、心からのお詫びを幾重に申し上げてもなお言い尽くせない心情が残り、言葉の足りなさを痛感いたしております。』…略…『医薬品や医療用具の許認可を始め、承認体制が不十分であったこと、さらに諸外国の活動状況や研究成果に対する掌握が足りなかった事など反省 …略…医療を受ける側の声を十分吸収できる組織づくり、何かが発生したときには敏感な対応ができる体制を構築する決意でござい・・・』

後世に残るたたかいに参加して

薬害ヤコブ病大津訴訟弁護団
団 長 中島   晃

 薬害ヤコプ病の全面解決が実現できたことは、支える会の皆さんのご支援のたまものと心から感謝申し上げます。三月二十五日、東京・厚労省で、原告・弁護団と厚労大臣・被告企業との間で確認書が調印され、坂口大臣から「心からのお詫びを幾重に申し上げても、なお尽くせない心情が残る」との言葉を聞いたとき悲しみを乗り越えてたたかってきた多くの原告が勝利の実感を胸に刻むことができたのではないかと思います。
  私もこうした後世に残るたたかいに参加し、確認書に弁護団として署名・押印することができたしあわせをいま心にかみしめています。 

幾多の困難を乗り越えて

薬害ヤコブ病東京訴訟弁護団
団長 畑山 実

 さる三月二十五日、爛漫の櫻花と競うかのごとく、全面解決に連なる確認書の調印がなされ、そして勝利和解が成立しました。
 大津、東京両地裁の原告・弁護団・支さえる会が、幾多の困難を乗り越え団結して闘ってきた成果にほかなりません。
 この闘いに先行して奮闘された大津の皆さんに、私たちは、心からの敬意と感謝を申し上げます。
 これからも、気を緩めることなく、残された課題に向け、力を合わせて頑張って行きましょう。 

薬害ヤコブ病訴訟 大津・東京弁護団

大津弁護団副団長

尾藤 廣喜

  国、B・ブラウン社、日本ピー・エス・エス社等を被告とする「薬 害ヤコプ病訴訟」は、二〇〇二年三月二十五日の和解成立により、被害についての損害賠償のルールが確立しました。これも一重に、支える会を初めとする広範な市民の方々の力強い支援のおかげであると感謝しております。しかし、この裁判の過程で明らかになりました、国、企業の安全無視の姿勢 が、一朝一夕に改まるかといえば、そう楽観できません。国も企業も、市民の監視の目が弱まりますと、安全性よりも営利性を重んじ、サリドマイド、スモン、HIVそしてヤコプ病と続いた薬害の悪しき「連鎖」を再び繰り返しかねないからです。
 私達は、未解決の患者さんの救済、何時発病するかもしれないという不安を抱える多くの脳内手術を受けられた方々のサポートとあわせ、薬害をこの国に再び起こさないような運動をさらに強めて行く必要があります。今後とも変わらぬ御支援をお願いします。

東京弁護団副団長

白井 斂

 一まい一まいのビラを配り、一つ一つの署名を集めること。毎回の法廷を成功させ、ひとつひとつの集会や行動をきちんと成功させてきたこと。そういうことの積み重ねが、運動の「ウネリ」に発展 したと思います。原告団、支える会、国会議員の先生方や医師、学者など専門家の先生方、マスコミのかた、そして弁護団。たくさんの純粋な「思い」が響きあって素晴らしい勝利につながったのです。ご支援ありがとうございました。

大津弁護団事務局長

三重 利典

 確認書調印式で、坂口大臣は、「医療用具の許認可、承認の体制が不十分であったこと、さらに諸外国の活動状況や新しい研究成果などに対する掌握が足りなかったことなどを反省いたしております。」と述べました。
 輸入承認が誤っていたこと、数々の警告を無視したことなどこれまでのわれわれの主張のすべてを認めたのです。この言葉は、単なる謝罪を超えた反省です。  ご支援ありがとうございました。

東京弁護団事務局長

阿部 哲二

 大津と東京がスクラムを組んで闘い取った全面勝利、本当に良かったと思います。
 友人、知人、親戚の方々を中心 とした大津の支える会の活動は、私達にとって新鮮であり刺激的で した。
 厚労省前での追悼集会、歌や演奏をいれての座り込みはどうだったでしょうか。
 闘い取った成果を全ての薬害ヤコブの被害者にひろげ、さらに薬害肝炎の闘いなどにつなげていく、それがこれから必要だと思います。 引き続きよろしく。

大津弁護団広報担当

永井 弘二

 今回の確認書調印・第一次和解成立は、昨年八月に東京・大津原告弁護団がまとめた十一項目に渡る解決要求を、ほぼ勝ち取り得たものと評価しています。
 もちろん薬害再発防止やCSネットなどの課題については、さらに具体化していくことが必要ですが、基本な路線を形作ることができたと思います。私も三カ月半の二週間は、ほぼ連日東京に詰めて交渉等にあたりました。途中、何度かの危機的な状況もありましたが最終的にこのような解決が勝ち取れたのは、国民的な運動や多くの皆さんのご支援のお陰だと思い ます。
 弁護士としても本当に貴重な経験をさせてもらったと思います。これからも多くの課題がありますが、よろしくお願い致します。

東京弁護団

小池 純一

  あの、和解の一日から時間が過ぎ、改めて色々なことを想いだしています。
  林琢己さんのお見舞い、谷たか子さんのお宅でのホームコンサー トのことなど。ひとりひとりの悲しみや思いを胸に、これからも活動していきます。原告の皆様、本当におつかれさまでした。CJD薬害訴訟を支える会の皆様、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

大津弁護団

大脇 美保

  和解が成立して、弁護団の一員として大変うれしい思いです。今後の課題として、薬事法改正の問題、ヒト組織由来製品の安全性確保の問題、これから和解になる原告さんについての取り組み、未だ不安を抱えている硬膜移植を受けられた方々への対応の問題な ど、引き続きがんばって取り組みたいと思いますので、ご協力よろしくお願いします。

大津弁護団

近藤 公人

  和解成立までの緊張した数日間。確認書等の内容を決める協議に 二十日より立ち会わせてもらった。この協議は、裁判所の電話会議システムを利用して東京と大津の裁判所で行われ、時には二十四時をまわったこともあった。被告企業 との駆け引きなど文章化できない内容など、本訴訟でしか体験できない体験をさせてもらった。支える会などの支援・署名活動がなかったら、裁判所が深夜まで協議の場をもってくれなかったのではないか。協議の中では、決裂するのではないかという場面もあったが、本当に解決してよかった。

大津弁護団

荒川 葉子

  弁護士になった年の冬からこの訴訟に参加し、訴訟とともに歩み、訴訟とともに私自身成長してきました。ここにきて、微力ながらも 和解成立の一端を担うことができたことを誇りに思います。  署名活動、ビラ配り、集会、シ ボジウム等々、これまでの支える会の方々の言い尽くせないほどのご努力があっての解決だと信じています。三月二十五日に皆さんとおいしいお酒を飲むことができて、本当によかったです。

大津弁護団

国分 妙子

  私がまだ五人目の弁護団に加わったとき、目の前の大きな大きな壁を感じ、「十年かかるかも」と覚悟していましたが、支える会の皆様らに押し上げられて裁判は急速に進み、異例の早さで解決の日を迎えました。本当に有難うございました。ただ、これからも増えるであろう被害者の方々のサポートや、薬害根絶のための活動は、今後も一層進めて行かねばならないと、気の引き締まる思いです。 ずっと見守っていて下さい。

大津弁護団

川村 暢生

  私が弁護士になったのが今から二年前で、その時からこのヤコブの裁判に携わらせてもらいました。 その時には、私自身、裁判の最後に『和解成立』の垂れ幕を持って走れるとは思ってもみなかったです。やっと一区切りつきましたが、 まだまだ和解が成立していない原告さんや未提訴原告さんもおられますし、サポートネットの態勢作りもありますので、ひきつづき頑張っていきます。

大津弁護団

吉田 雄大

  薬害ヤコプ病訴訟和解成立、おめでとうございます!被害者に対する謝罪、国・企業の責任の明確化などはもちろんのこと、薬害再発防止、医療体制ないし教育・啓発制度の充実、サポートネットヘの援助等にも踏み込んだ、画期的な内容だと思います。現在は、左記の内容について具体的な詰めの作業に入りつつあるところですが確認書が絵に描いた餅にならないよう、頑張って行きましょう!

医師の現場から

東洋大学社会学部

片平 洌彦

『被害者支援と薬害根絶、全力で』
 全面解決が成立して、私も感慨ひとしおなるものがあります。 九十七年三月にこの問題を知らされてから、谷さんへの弁護士紹介、加害責任の解明と論文化、法廷証言、シンポジウム開催、講演活動、大学での薬害教育など、私なりの活動に努めてきました。  和解確認書はその実りの一つとして、闘いの先頭に立ってこられ た谷さんはじめ、被害者・弁護士・ 支援の方々と共に喜びを分かち合いたいと思います。引き続さ、ヤコプ病サポートネットワーク(C Sネット)の確立や、薬書教育の推進、そして薬害根絶のため、全力を尽くす所存です。

旧厚生省研究班班長

立石 潤

 今年の桜は早く散りましたが、被害者や家族の方にとっては長い癒しの時間の始まりでしょう。ヤコブ病の潜伏期間の長いことと、いったん発症すれば奔馬の如き経過に、無念の想いを新たにいたし ます。ようやく治療への道も見えてきましたが、予防に勝る治療法はありません。医療や食に関して消極的になるのではなく、積極的に危険や汚染を排除し、過剰な防衛も必要との教訓を得ました。  安らかにお眠り下さい。

現代医療を考える会代表 医師

山口 研一郎

 薬害ヤコブ病の判決によって、厚生労働省や企業側の責任が明らかになり、改めて医療被害や薬害の氾罪性について再認識しております。  日本の戦後の医療は、戦時中の関東軍七三一部隊に端を発し、その医療犯罪を隠蔽したことから始まっています。従って、個々の氾罪を白日の下に曝すことによってしか、医・薬害防止は実現しません。 今後、遺伝子を組み換えた動物の臓器を人に移植する医学が始まります。さらに、未知の感染源に対する厳しい対策が不可欠です。

薬害被害者として

京都スモンの会事務局長

上本 善有

 全面解決心からお慶び致します。  滋賀県甲西町の谷たか子さんがヤコプ病に罹患され、夫の谷さんは、患者の悲惨な状況や、家族の尽きせぬ苦しみ等をあらゆる場で訴え続けてこられ、谷さんの行動が全面解決に導いてこられたものと思わずにいられません。  たか子さんは帰らぬ人となられましたが、この悲しみを乗り越え て、今後は薬害根絶のため、薬害被害者として私たちと共に闘っていたださたいと思います。

薬被連事務局長(京都スモンの会)

矢倉 七美子

 薬害ヤコプ病全面解決おめでとうございます。  五年余にわたる被害者とその御家族、支援者と弁護団に共感の拍手喝采を贈ります。  サリドマイド、キノホルムの副作用被害訴訟の和解の内容をはるかに越えた確認書は、今後の薬害防止に一段とはずみを付けたものになりましたね。さらに、これを薬事法の完成に繋いだことは、素晴らしいことです。サポートネットワークの推進は大変なことですが、最後まで頑張ってください。

東京HIV訴訟原告 人権アクティビストの会代表

川田 龍平

 防ごうと思えは防げた薬害を、反省もせずに、何度も繰り返してきた国の責任は重い。  国・企業は、二度と同じ被害を繰り返さないために、真相究明と責任の明確化によって、何が悪かったのかを認め、悪かった点を改めなければならない。  「謝罪」の文言が和解確認書に盛り込まれなかったことが残念だ。  自分たちがしたことを「罪」と して認めて「謝」る、心からの「謝罪」をしてほしい。  その意味で、薬害エイズ、薬害 ヤコプは、終わっていない。

音楽で心の安らぎを

日本フィルハーモニー ビオラ奏者

後藤 悠仁

 〃薬害ヤコブ病で苦しんでいる方々に、音楽を聴くことで少しでも 安らいでいただけたら〃という思いで始めたコンサート。回を重ねるごとに逆に私自身が改めて、命の重みを知り、また人々の温かい輪に接することで、多くのすばらしいものを学ばさせていただきました。  全面解決と勝利和解。本当におめでとうございます。この日を待っていたかのように満開を迎えた桜。 今度は、コスモスがきれいに咲く 秋に、音楽をお届けできたらと思っています。

日本フィルハーモニー バイオリン奏者

松本 克己

 失われた命、失われようとしている命、失われた時間を考えると、何ともつれなくやるせない気持ちです。当事者の方々が、短い時間にしろ、生の音楽を通して、和やかな空間に心を置いていただければと思って、関わりを持ってきま した。解決運動にはあまり寄与できていないでしょうが、少なからずお役に立てたのではと思っています。これからも演奏することで何かできることがありましたら、後藤と出かけたいと思います。 

声楽家

森 みち

 二〇〇二年三月二十五日。調印式で「責任は重大。お詫びを幾重に申し上げても言い尽くせない」 と、大臣が謝罪しました。谷さん一家はじめ、多くの原告団と、CJD訴訟を支える会のみなさんの、長年にわたるご労苦の報われたこの瞬間、私の心に季節はずれのコスモスが満開となりました。  とはいえ、大切な方々を失われた原告団の深い悲しみを思うとき、農水省はもとより、厚労省、外務省などであまりに「重大な失政」が、くり返されていることを考えずにはいられません。二度と薬害をださないため、この国の姿を変えたいと思います。

原告−提訴より五年を経て

大津訴訟 原告団長

谷 三一

  私は何も分からない状態で一九九六年十一月二十日、国や企葉を相手に日本で初めての薬害ヤコブ病の裁判を始めた。国を相手にすることが、どれほど大変か、難しいことか、私には、余り知る予知はなかった。又、ドイツのビーブ ラウン社と、国際裁判にもなった。私はとにかく真実が知りたい、無念を晴らしたい、思いだけで突っ走った。  妻は、秋田県から二十才で嫁いで、慣れない地で、本当によく頑張った。今思うと、元気だった頃のことが、昨日のように頭の中に浮かんだり、目の中に見えてくる。だが、すぐ消えていく。  五年四カ月の長かった裁判も多くの人々に支えられて解決できた。 国の代表の坂口厚労大臣からも、心からの謝罪の言葉も聞いた。全面解決、嬉しいが、残された問題もまだ多くある。私たちにとって失った「命」その重みは、余りにも大きい。だから私は勝利したとは、この裁判では言いたくない。 だが、私は、この裁判を理解して応援して下さった人々に感謝しながら、前向さに生きることが、亡くなっていった者への供養のような気がする。皆さん有り難うございました。心からお礼申し上げます。 

大津訴訟 原告

小山 俊成・有馬 俊光

 私達はこの悲惨な病気の発病の原因と責任の所在を明確にし、家族の無念を晴らし、二度とこの様な薬害を起こさないために闘って参りました。  この度、全面解決と勝利の和解が実現出来ましたのは、何度も東京を初め各地で被害を訴え続けた原告・弁護団・家族と共に五年以上一緒に闘って下さった貴会の皆様のお陰と心より厚く御礼申し上げます。  また、その他多数の団体が支援下さった事を重ねて御礼申し上げ ます。

大津訴訟 原告団長

E・W

 この裁判に加わって四年。短いようで長かった四年。自分一人では決してここまでこれなかったはずです。けれど、弁護士の先生方、支える会の皆様方、そして家族のお陰で和解が成立したと思っています。本当に皆様方には感謝の気 持ちでいっぱいです。『ありがとうざいました』 しかし、私はこれで終わりだとは思っていません。 これから先、発病される方や、今現在闘病生活をされている方の為 に、力になって、がんばっていき たいと思っています。

大津訴訟 原告

高原 和幸

 長い年月のかかった薬害ヤコブ病裁判も、皆様のご支援のお陰で勝利和解することができました。 九州から出てくるため、協力できることも少なく、ご迷惑をおかけするばかりでしたが、原告としてくじけそうになったとさ、皆さんの頑張っている姿に力づけられ、 この裁判を闘い続けることができました。本当に五年間お世話になりました。薬害を無くすため活動が今後続くと思いますが、これからもご支援よろしくお願いします。

大津訴訟 原告団長

小泉 寛人

 大津裁判に参加して三年目に入りました。三月二十五日、他の薬害裁判に此て短期に勝訴全面解決出来ました事は、弁護士先生を始め、多くの陰からの支援者の賜と深く原告の一人として感謝申し上げます。  先生方は真相究明には並々ならぬ心労が推察されます。又大津の支える会の皆さんにはヤコプ病薬害に対して深く理解して頂き、日夜、状況に合わせ、何一つ手落ちのない進行、又遠路東京にての座 りこみ等、一致団結して支援頂きこの様な協力が勝利の結果になったと思われます。  私も札幌という遠方に離れている為に裁判には参加しているに過ぎず、お手伝いも人まかせで申し訳なく思っています。裁判は終わっても、まだまだこれからやらなければならない事があるかと思いますが、私に出来る事があれは進んで参加して協力したく思います。  弁護士先生、大津支える会の皆様、大変お世話になりました。あ りがとうございました。

大津訴訟 原告

椿 園江・真奈

 この裁判が始まって以来、支える会の皆様には本当にお世話になりました。思い返せば、裁判所にいくと、いつもいろんな事が思い出され悲しくなるので、提訴当初は、足が遠のきがちでしたが、裁判のある日はいつも、支える会の皆様の明るい笑顔と思いやりのある励ましの言葉に背中を押してもらって乗り越えてこれたと思います。自分達以上に親身になって下さった方々お一人お一人に、お礼を言って廻りたいですが、それ以上に皆様に支えてもらって裁判に参加出来たこと、そして、それも良い結果を迎えられ、精神的にも多くの事を学ばせて頂きました。本当にありがとうございました。 言葉では言い尽くせない程の感謝の念で一杯です。

大津訴訟 原告団長

林 勲男

  三月二十五日に薬害ヤコプ病訴訟を和解による全面的勝利解決で終わらせる事が実現したのは、偏にCJD薬害訴訟を支える会の皆様のご支援なくして勝ち取る事は出来なかったと思っております。 そして東京・大津合わせて四十万筆を越す人達が署名に協力して下 さったこと、又厚労省前での座り込み、人間の鎖で厚労省を取り囲むなどの行動で世論が高まり、裁判所を動かし、国、企業に責任を認め謝罪をさせることが出来たのは、私達被害者を支えて下さった役員をはじめ、会員の皆様や国民の皆様のお陰で、心よりお礼申し上げます。  なお平日ばかりの行動で、会員の皆様には大変ご苦労をおかけ致 しました。心より感謝致しており ます。長い間、本当に有り難う御座いました。

大津訴訟 原告

上田 衛代

 和解三月二十五日生産忘れられない日となりました。この日をどれほど待ち望んできたことでせう。 ながいながい道のりでした。弁護 団の先生をはじめ、議員の先生、そして、多くの支える会のお一人 お一人の方々がヤコブ病に対し、ひとすじに身を捧げていただきま した熱意がこの日を迎えさせて下さったのだと思います。本当にう れしゅうございました。今は毎日毎日過ぎし日を思い、感謝、感謝、涙、涙で胸が一杯でございます。 二度と繰り返してはならない薬害この悲劇…失った命は帰りません。 しかしこの度は亡くなった方々も きっと草葉の陰より無念を少しは晴らすことができたのではないかと思います。私達はこれからが大切なのです。支えていただいた方々の御恩を忘れてはなりません。 がんばります。本当に本当にありがとうございました。

大津訴訟 原告団長

加藤 芳和

 去る三月二五日、厚生労働省に於いて原告、被告双方出席のもと確認書調印式が行われ、薬害ヤ コブ病訴訟もようやく和解による全面解決を迎えることができました。被告からはこのような薬害を二度と繰り返さぬ誓いとお詫びの言葉をもらいましたが、これも編に長きに渡り多大なご支援、ご尽力を賜りまLた 『薬害ヤコブ病訴訟を支える会』の皆様のお力添えによるものと深く感謝申し上げます。また、いつも明るく励ましの お声を掛けていただき誠にありがとうございました。

大津訴訟 原告

小栗 光夫

 今回の薬害訴訟での勝利は、ささえる会の方々の協力あっての勝利だったと思います。会の皆様の思いの強さ、そして人と人との信頼による団結が大さな力となったのだと感じています。患者家族以上に親身になって取り組んでみえる姿に感動し、勇気をもらいました。そして、残された家族としての使命を確認することも出来ました。支える会の方々の力ある友情に触れ感謝の気持ちで一杯です。 本当に有り難うございました。

大津訴訟 原告団長

鈴木 仁志・陽子・博光

  新参者で大した協力もできなかったですが、勝利和解という形で裁判を終えることができ、大変うれしく思います。この結果は、谷さんを始めとして原告の頑張りはもちろんですが、支える会など多くの人の協力がなければこういう結果は出なかったでしょう。  先日の和解後の謝恩会で、支える会の皆さんが自分のことの様に喜び、涙を流している姿を見て、こういう方々のこういう気持ちがあってこそなんだと心から思いました。本当にありがとうございました。

東京訴訟 原告

池藤 勇

 三月二十五日坂口大臣や企業の謝罪の言葉と確認書調印。裁判所で和解成立し、全面解決しました。 長い間求めていた私達の思いが届き感謝しています。これも懸命に支援下さった皆様のおかげです。 感謝申し上げます。  今、ヤコプ病と闘っている患者さんと家族、発症の不安を抱えている多くの人々、解決しても悲惨な被害がなくなった訳ではありません。失われた生命は戻らないのです。これからも悲惨な薬害の防止にがんはります。

東京訴訟 原告

山村 伊吹

 多くの方々のご支援のおかげで、勝利和解となりました。心よりお礼申し上げます。 これまで「妻の無念を晴らしたい」「家族の悔しさを晴らしたい」 という一心で闘ってきましたが、三月二十五日の確認書調印式の式場で、坂口大臣の「医療に責任のある立場の者として、心からのおわびを幾重に申し上げても、なお言葉に尽くせない思いか残る」という言葉を聞いた時、おもわずポロリと涙が流れ、肩の力が急に抜けたような気がしました。坂口大臣の謝罪で長年の胸のつかえは取れましたが、「ライオデュラさえ使われなかったら」という思いだけは一生消えないでしょう。こんな悔しい悲しい体験は私達だけで十分です。国は「本件のような悲惨な被害を再び繰り返すことがないよう最善、最大の努力を重ねることを固く確約した」ことを絶対に忘れないでください。

その他の方々

毎日放送報道部

井本 里士

  この五年間ずっと自問自答を繰り返してきた。テレビという媒体はとてもシビアな側面をもつ。一枚の画面はあちら側とこちら側を明確に区別し、甚大な被害は時に仮想現実として矮小化されてしまう危険性があった。しかし支える会の活動はそれとは違い常にフェ イス・トゥ・フェイスだ。人の温もりがじかに伝わる力は素晴らしかった。闘いの果てにあったもの。 それは僕のちっぽけな予想をはるかに超えた愛情と友情だった。皆 さん、本当にご苦労様でした。

ジャーナリスト

伊豆 百合子

 金儲けのために企業は、ここまでやっていいのかというのが薬害問題の歴史である。市民感覚としてこれだけ大さな犠牲と問題を、和解という「あやまって金残だけ払えばお終い」ですむのか。社会が求めるのは本当の解決を約束してくれる事だ。人が起こした薬害なら人が起こせない様にする社会的なシスティムを作り、金残以外の本当の解決を求める事だ。ヤコブ裁判はその大さな課題をまた今後に残した。

日本医療社会事業協会 事務局長

坂本 洋子

  薬害ヤコプ病訴訟の全面解決おめでとうございます。私がこの問題に関わるようになった九十八年 当時、勝利和解をする事など夢のように思っていました。当時の厚生省や国会にはこの問題を小さな問題として片付けたいという思惑が随所に見られました。原告・弁護団、支える会の方々の大変なご努力により全面解決に至ったことに心より敬意を表します。秘書時代に皆様からご指導頂きましたことにもこの場をお借りしてお礼申しあげます。

支える会ホームページ担当

谷 八寿男

 滋賀のHPを担当させて頂いた谷です。  この度は、全面解決おめでとうございます。五年以上の長い間、ご苦労様でした。又、今後増えるとされる患者への道を残された事も大きな成果と思います。けれども五年長いですね。こんな事では 普通の人は、泣き寝入りせざるを得ないでしょう。又、国、旧厚生省の対応全てが如何にずさんであったか信じられない思いです。  微力でしたが、皆さんのお役に少しでもたてたとしたら光栄に思います。閲覧者のカウンタの増えていくのが、私の活力でした。 いろんな意味で勉強さゼていただきました。本当にありがとうごさいました。

支える会 運営委員

大澤 一夫・信子

  三月二十五日、厚生労働省講堂における歴史的勝利和解の場に身を置かせてもらった。友人の一本の電話。谷三一さんの「クロイツフェルト・ヤコプ病知っているか」 が、この日につながった。  大津での和解成立報告会で、支える会のメンバー紹介があった。 振り返って見ると、被害者の方はこの訴訟に惜しみなく力を尽くされた弁護団をはじめとする多くの方々から、勇気と感動をもらい、私たちも共に支えられてきたのではなかったろうか。報告会食会での皆んなの顔がそのことを物語っていたと思う。

ご支援ありがとうございました

ご支援ありがとうございました 
§署名数 真理の促進を求める署名
公正な判決を求める署名 

合計 227,540 筆
 §薬害ヤコプ病問題の早期解決を求める意見書
採択状況

156議会 2議長会 
§支える会会員数        918名
ホームページ http://www.page.sannet.ne.jp/yasuo-t/

あとがき

 平成九年十二月、第一号の会報 『秋桜』を発行させて頂いてから 皆様のご投縞のおかげで、今回で十三号の発行となりました。  今回は三月二十五日の和解を受けて、お世話になった先生方や、弁護士の先生、そして原告の方々に、ご投稿いただきました。  皆様のご支援のお陰で、全面解決の和解を迎えられましたが、未だ和解に至っていない原告や、今後発症される患者も予想されます。 今後も引き続さご支援お願いいたします。

ヤコブ病 年表

S48

1973

7

乾燥硬膜ライオデュラの輯入販売承認

 

1976

 

ガイジュセック(米国)ノRベル賞受賞
(CJDが伝達性海綿状脳症一証明確立)

S62

1987

2

米国の疾病対策センター(CDC)がヤコブ病患者の症例を報告

 

 

4

米食品医薬品局(FDA)が警告

 

 

5

B・ブラウン社が完全不活性化処理導入

 

 

8

JAMAの日本語版8月号にCDCレボートが帝京大教授により紹介

 

 

10

国立予防衛生研究所の北村敬氏が『臨床とウイルス』にCDC和訳を紹介

H元

1989

1

たか子さん、脳外科手術を受ける

H8

1996

6

硬膜移植によるCJD病9名との厚生省・緊急全国調査研究班の新聞発表

 

 

9

たか子さん、ヤコブ病と診断される

 

 

11

大津地裁へ提訴 (1名)

H9

1997

3

世界保健機関(WHO)勧告
厚生省緊急安全性情報(硬膜回収命令)

 

 

6

署名活動始める

 

 

9

CJD薬害訴訟を支える会 発足

 

 

10

東京地裁へ提訴 (1名)

 

 

11

『提訴一年をむかえて』報告会

H10

1998

3

検証(裁判長、被告ら、たか子さん検証)
第2次提訴(大津・東京 計7名となる)

 

 

5

三重集会    於:三重県

 

 

6

CJD薬害訴訟を支える京都の会 結成

 

 

11

『薬害ヤコブ3年をむかえて』の集会
証人尋問始まる(東京地裁)

 

 

12

『薬害ヤコブ病東京支える会』結成

H11

1999

5

当支える会が『みなまた京都賞』受賞

 

 

6

追加提訴(東京地裁3名、大津・東京計10名)

 

 

7

追加提訴(大津地裁2名、大津・東京計12名)

 

 

11

ヒロ君(北海道)検証

H12

2000

4

薬害ヤコブ訴訟『20世紀解決をめざして』集会

 

 

6

追加提訴 第4次提訴(大津地裁5名)

 

 

8

検証(裁判長、被告ら、林琢巳さんを検証)
『薬害根絶デー』東京総行動に参加

 

 

12

12・5 『東京1000人集会』 参加

H13

2001

1

林琢巳さん、谷たか子さん逝去
第30回公判

 

 

3

岐阜集会      於:岐阜県中津川
追悼集会      於:滋賀県大津(ビアザ淡海)

 

 

5

‘5.27.1000人集会’ 於:滋賀県大津(びわ湖ホール)

 

 

7

第33回公判 結審 和解勧告

 

 

8

厚生省へ要求書提出

 

 

9

第1回和解協議

 

 

11

第2回和解協議

H14

2002

1

第3回和解協議

 

 

2

第4回和解協議

 

 

3

『薬害ヤコブ病訴訟全面解決へ』集会 

 

 

3

大津・東京和解成立 和解確認書調印式 東京

 

会報
第12号

2001年9月1日

コスモス
秋 桜

CJD薬害訴訟を支える会事務局
〒520-3254
滋賀県甲賀郡甲西町岩根中央3-5-2
Tel/Fax 0748-72-1478

 

>>> 悲しみと怒りをバネにして <<<

全内容

薬害ヤコブ病裁判の結審にあたって

 薬害ヤコブ病大津訴訟弁護団   団 長 中島   晃

東京地裁も和解勧告

薬害ヤコブ病東京訴訟弁護団事務局長 弁護士  阿部 哲二

結審を迎えて(公判陳述より)

大津訴訟原告         上 田 宗

『結審を傍聴して』
硬膜移植された参加者の思い

兵庫県芦屋市         井原 健

大津1000人集会に参加して

東京支える会         黒田 真一

『薬害エイズとの闘い』

川田 龍平

誓いの碑に願いをこめて

大津訴訟 原告 林 勲男

1000人集会?いえいえ1200人集会!

大津訴訟弁護団  国分 妙子

《アンケート紹介》

 

1000人集会に参加して

司会 寺田 智子

「1000人集会を終えて」

運営委員  植西 敏生

ヤコブ病 年表

 

 

薬害ヤコブ病裁判の結審にあたって

薬害ヤコブ病大津訴訟弁護団   団 長 中島   晃

1、薬害ヤコブ病裁判は、1996年11月、谷さん夫妻が大津地裁に全国ではじめて訴訟を提起して以来、33回にわたる口頭弁論を経て、本年(2001年)7月2日、4年7カ月ぶりに全ての審理 を終えて結審しました.
 裁判所は、来年(2002年)3月25日に判決を言い渡すことを決めるとともに、本件訴訟の早期解決を図るために当事者双方に和解の勧告を行いました。第1回の和解期日は本年9月10午後3時からと決まりました.
 このように薬害ヤコブ病裁判で被告らの引き延ばしを許さず、結審をかちとることができた背景には支える会の皆さんが審理の促進と公正な判決を求める署名に熱心に取り組み、裁判所に20万人を超える署名簿を積み上げたことなどが大きな力になっています。又この間、3月18日の林琢己さん、谷たか子さん両名の追悼集会や、5月27日の市民集会などの成功のために、奮闘されてこられた支える会の皆さんに心から敬意を表します.
二、裁判所が結審にあたって和解を勧告したのは、原告ら被害者の訴えが裁判官の心を動かし、もはや被告らの責任を否定することができないと考えたからにほかなりません.その意味でわたしたちは、裁判所の和解勧告を積極的に評価するものです.
 しかし、和解勧告がなされたからといって、それで自動的に解決がはかられるわけではありません.迅速でしかも被害者が納得できる内容の解決を実現するには、なお多くの紆余曲折が予想されます。
 従って、和解もまた闘いであり、私たちがいささかでも油断し、たたかいの手をゆるめれば、解決が遠のくことになりかねません.このため、私たちは、裁判所で誠実に和解協議をすすめるとともに、同時に被告らが抵抗するならば、断固判決をとるという構えを崩すことなく、たたかい続けることが重要です.
 私たちが、この裁判でめざしているのは、被害者の早期救済と薬害の防止・根絶という二つの課題です.被害者の早期救済にとどまらず、薬害根絶という国民的課超に真剣に立ち向かうことに、この裁判の重要な意義があります.私たちはこの2つの課題の実現に向けて、多くの国民の支持と理解を得て、全力をあげて闘う決意ですので、引き続き一層のご支援、ご協力をお願い致します.

東京地裁も和解勧告

薬害ヤコブ病東京訴訟弁護団 事務局長 弁護士  阿部 哲二

 1997年9月に始まった東京訴訟も本年7月16日に結審しました。
 3年10カ月の審理の促進を経て、9名の患者さん (原告数22名)の裁判となっています。
 結審にあたり東京地裁は、大津地裁に引き続いて和解を勧告しました。岩田裁判長も、本事件を結審するにあたり、
 『早期の、多面的、
    抜本的、全面的な解決』
のために和解を勧告すると発言しました。これは、この間の審理で、国をも含む被告らの責任が明らかとなったことを前提としたうえ生者患者対策、未提訴患者対策、そして抜本的な薬害防止策などが必要であることを認めたものと高く評価できます。
 私達、東京原告団、弁護団、支える会は、この勧告を受けて、大津の方々と要求を統一し、歩調を合わせて、この要求の実現に邁進したいと考えております。
 闘いはこれからが正念場です。
 ともに頑張りましょう。 

結審を迎えて(公判陳述より)

大津訴訟原告         上 田 宗

 結審を迎えるにあたり、原告生存患者が大津地裁において、誰の一人もいなくなった現実をとてもさびしく思います。せめてたか子さんや琢己君が生きているうちに裁判の結果を報告してあげたい、私たちはそう思っておりました。日本の裁判としてはとても順調に進んだこの裁判ですら、ヤコブ病というこの恐ろしい病気においては長すぎたのです。
 私は、何よりも、裁判審議中であることを理由に、救済を拒み続けた国の態度に憤りを感じます。この裁判にかけた時間は、本来患者と家族が残り少なくなった時間を少しでも一緒に過ごすべき時間でした。その意味で、裁判にならなければ動かない、裁判になっても動かない国や企業の姿勢は、そのことで、なおも罪を犯し続けていると言わざるを得ません。また、企業側の責任は、個々で語る必要もないほどに明確なものです。
 最後には愚痴一つ言わなかった父。それに対して国の対応と言えば 「一症例だけでは予見出来なかった。国の研究班の成果は行政に反映されるものでなく、その後の医学会の進歩に貢献できればいい」などと言う詭弁ばかりです。
 国の研究班の存在目的は、国民のためにこそあるはずです.その報告を生かさず、警告を見逃しつづけたことを平然と正当化しょうとするその態度を、私たちは決して許すことは出来ません。アメリカでは過去の情報の蓄積をも生かして、第一症例の報告に対して迅速な対応がなされました。それに引き換え、第一症例報告の直後はおろか、その後十年間何の対応もしなかった厚生省は、一体何をしていたのでしょうか。
 私たちの家族は一症飼にすぎないのではなく、一人の人間なのです。そんな当たり前のことですら、今の厚生行政では前提とされてはいないのです。
 また、国は、医学的最高レベルを追うことは到底出来ないと公然とのべ、その責任は企業にあるとの対応を崩しません。私たちはこのようなことを恥ずかしげもなく言える厚生労働省に、本当に一国の厚生行政を委ねていいのか、心底疑問に思います。国の行政に存在意義・職分について私は声を大にして問いたい。人の健康は一度崩すと元に戻らない大切なものです。今回のように国を挙げて取り組まなければ防げないような時にこそ厚生労働省の存在価値があるのです。
 さらに、国は、自ら設置した研究班の出した、因果関係を肯定する調査結果さえも否定する態度に出ています。自らの研究班がヤコブ病であることを認めているにもかかわらず、ただでさえ頑張りぬいた患者さんの脳を取り出して、ブリオンを確定しなければヤコブ病ではないといいます。それでは自分たちで集めたこの研究者たちはいったいなんなんでしょう。厚生労働省の仕事は、国民の健康を守ることです。ドイツ企業の粗悪品から国民を守れなかった、そのことは、動かしがたいあまりにも大きな事実です。研究班が認めているヤコブ病患者さんを否定してさらに家族を苦しめてどういうつもりなのでしょう。
 私達原告は、自分達の大事な家族を失ったやり場のない気持ちと怒りを持ってこの裁判に臨んでいますが、ただ自分たちのこうむった被害の救済を求めることに止どまらず、この国の薬害再生産の構造そのものを無くしたい、そう考えているのです。
 この裁判での結果が、日本という国を、より安心して、暮らしていけるようにするためのきっかけとなると思います.
 熊本地裁におけるハンセン病訴訟の勇気ある判決が国を動かし、はじめて国民の目から見て納得できる政策へとつながった如く、すべての薬害防止にこの判決が生きることをのぞんでおります。

『結審を傍聴して』
硬膜移植された参加者の 思い

兵庫県芦屋市 井原 健

 裁判傍聴に参加した理由は、自分が発病したらどうしようかという心配からでした。情報を多く得れれば不安を解消できる筈だとも思っていました。しかし知識、情報を得れば得る程不安感が増加し無力感と絶望感が強まるだけでした。発病すれば生きることを諦めるしかなく、介護者への負担も尋常でなく、金残的にも厳しい日々が待ち構えているのが現実だと判断した為です。また傍聴では、被告国、企業の態度は被害者救済など眼中にない、居直りの詭弁を論じているに過ぎないものでした。
 こんな弁論を指揮する者たちに直接抗議する権利を奪われた状態で殺されねばならないのか、出口の無い辛さが増します。しかし、参加半年程、原告及び支援者と交流するなかで、考え方が大分変化しました.一緒に悲しみ、泣き、またいたわる優しさが共通軸にあることを肌で直接感じたことによります。そして人々の思いを聴くに従い、自分自身においても絶望的とは異質の安堵感が、ふつふつと生まれてきました。また闘病されている方のベッドの姿に、生きていることの気高さを感じ、また勇気も与えられ、私自身も同じ姿で生き抜くことを決断できたことにより、日々の不安感が消えました。
 そして三年が経った今も、気持ちに揺るぎはありません。そして家族、友人を一途に、ひたすら愛し続けるこの支援活動こそが、夢や希望を持って、普通に生活できる社会を、極めて近い将来に実現させてゆく大きな力になると考えるからでもあります。
 発病すれば、私自身、恐怖と失意と怒りの塊りになろうかと思うけれど、薬害の歴史を見れば、想像を絶する沢山の犠牲者によって築かれており、その人々が無言で支えてくれていることを感じます。そして、その歩みに直接参加していることの意義も感じます。決して孤独ではない、他者を愛する権利、人権に基づく救済と薬害防止が確立される日は、その歩の中でのみ、築かれると確信しています。
 結審の場での被告国側弁護人の姿には、人間味や責任意義はありません。問題解決能力を自ら棄て去ったみじめな姿を露呈していました。弁護士としてのモラルも擬うものでした。私を含め、ライオデユラ硬膜を移植されてしまった皆さん、そして発病時に支えてくれる皆さん、裁判に参加しましょう。私たちは生きる権利を主張できます。
 被告国、企業がどんな良識を欠く手段を用いても、発病する前から主張したい.私達の生命は、国企業の都合で消耗品にされるものではなく、ともに悲しみ喜んでくれる人々のなかに在る、代替不可能な存在であることを。
 同時に被告の皆さん、普通に人を愛する感情を持ってもらいたい。
 反社会的行動を続けないで、生命の大切さを前提とした対話によって、和解の道を歩んでほしい。
 そうすれば薬害を防ぐことも、できるのです。

5.27薬害根絶大津で1200人集会

大津1000人集会に参加して

東京支える会 黒田 真一

 昨年、暮れも押し迫った12月30日、谷たか子さんのお見舞いに、谷さん宅に伺いました。
 そこで、大津の支える会の皆さんが『1000人集会をやる!』とおっしゃいました。正直なところ、「1000人はちょっと厳しいのでは?」 と思っていました。
 ところが、当日舞台の方から会場を見渡すと、もう超満員。何と1200人もの参加、とのことでした。本当に感動しました。
 内容も原告団・弁護団の訴えだけでなく、川田龍平さんのお話や、大阪モーツァルトアンサンブルの皆さんの音楽と非常に盛りだくさんですばらしいものでした。
 翌日には、たか子さんのお墓参りをさせていただきました。暮れにお会いした時にはあんなに顔色もよかったのに、残念であると同時に悔しくて仕方がありません。
 訴訟も7月に結審を迎え、いよいよこれから全面解決へ向けての闘いです。この集会の大成功の熱気で原告の皆さんを後押しし、全面解決を勝ち取りましょう。   

『薬害エイズとの闘い』

川田 龍平

(当日の講演より抜粋させていただきました)

 僕は薬害エイズの問題で、六年前に、何としても国を相手にした裁判に勝ちたい、多くの人に薬害エイズのことを知ってもらいたい、そしてエイズに対する差別や偏見をなくしたい、そんな思いで自分の名前と顔を出し、実名を公表しました。
 ・・・中 略・・・
 僕の病気「血友病Lは、生まれつき血が止まりにくい病気で、その治療のために血液製剤というものを使ってきました。最初、生後六方月で血友病と診断されてからは、クリオ製剤と言われる、一人か二人の血液から作られる血液製剤を使っていました。それが、ベトナム戦争などを通して、血液製剤の開発が進み、凝縮の血液製剤というものが作られました。これは、二千人から二万人の血液を一度に集めて作る血液製材で、クリオ製剤と比べて、作られ方の点で非常に危険性の高いものであることが分かっていました。
 これは、プールして作ると言うことで、Bブラウン社のライオデュラも同じだと思いますが、本当に危険だということを国や厚生省、製薬企業の人たちは知っていたにもかかわらず、そのことを僕たちに伝えずに、安全だと嘘をついて使わせ続けてきたことによって、日本に約五千人いる血友病患者の約四割の二千人が感染させられました。そのうちの半分以上、約六割が感染した当時、十八歳末満でした。僕もそのうちの一人になるのですが・・・
 ・・・中  略・・・
 薬害エイズの裁判の和解にあたってて、僕は非常に納得のいかない妥協を強いられ、今でも悔しいと思っています。それは和解の文章の中に、「謝罪」という言葉が盛り込めなかったことです。自分たちのしたことを罪として認めて謝る、そんな意味が込められている「謝罪」という言葉を、文章の中に残すことを非常に強く裁判所も抵抗しました。
 ・・・中 略・・・
 裁判の目的は責任の明確化と謝罪でしたが、それは二つともいまだにできていません。個人の責任が最後まで追求されていない、本当にこの日本という国がいつも曖昧にしてきている。そのことを、今回のハンセン病の控訴断念を決断した小泉氏のことに関しても、彼が以前原生大臣であったことを全く無視して手放しで喜んでいるマスコミ、そして、多くの人がそれにだまされているということを強く感じています。
 ・・・中 略・・・
 そして、薬害ヤコブ病というのも、同じく厚生省が何もしてこなかった、そのことによって被害が拡大され、多くの命が奪われ、そして今も苦しんでいる。薬害が繰り返し引き起こされてきている歴史の中に薬害ヤコブの問題があり、いまだにこの問題は解決していません。本当に構造は何も変わっていないのです。だれに起こるか分からない、今も起こっているかもしれない、薬害問題として、一人一人の人に、自分の問題として考えてほしいと思っています。
 ・・・中 略・・・
 僕は自分は死ぬことは避けられないと思っています。人は誰でも病気で死ぬ、そして明日にでも交通事故で死ぬかもしれない、そのことは誰にもわからないわけで、死ぬことは避けられないと思っています。しかし、死ぬことと殺されることは別です。やはり殺されるということは悔しいです。許せない、そんな気持ちになります。
九五年−九六年と次々と同じ病室だった友達も殺されていきました。本当に悔しいです。そんな中で、本当に自分は生きている限り、できることを精一杯やりたいと思っています。そして生きていく中で一番大事なことは、楽しいことだと思っています。
 楽しく生きることとか、自分の生活というのも、自分たちの生きている社会、周りの環境というものが本当に平和であり、命や人権が守られる、薬害のない社会であるという土台があって初めて、できるのだと、薬害エイズの被害に遭って初めてわかりました。基本的人権や命が大事にされる社会を本当に作っていくために役立つ仕事をしていきたいと思います。
 僕は今、学生としても、そして母親の仕事を手伝いながらも様々な運動を続けています。本当に今、一人一人が自分の頭で考え、判断して、行動していくことが、少しずつでもこの社会、五十年先、百年先でも社会を換えていくことになるのではと思います。
 ぜひ、みなさん、一緒にこれからも頑張りましょう。

誓いの碑に願いをこめて

大津訴訟 原告 林 勲男

 去る、5月27日のびわ湖ホールで行われた7月2日の結審に向けての大集会に、大変多くの方にご参加頂き、誠に有り舞うございました。1200名のご参加で、集会は大成功で終わることが出来ました。この様な多くの方々が集まってくださったのも、CJD訴訟を支える会の皆様、そして訴訟弁護団の大変お忙しい中での熱心なるご協力によるものと思い、私達被害者家族は感謝の念でいっぱいです。薬害ヤコブ病裁判の結審を前にしての集会に、多くの方がご参加下さった事で、裁判官、そして被告、又、マスコミにも大きな訴えになりました。さらに私達患者家族にも大きな力を与えて頂き、大変心強く思いました。
 会場では被害者家族の訴え、又弁護団の報告等を聞いて頂き、ヤコブ病の悲惨さを十分わかって頂けたと思います。又、琢己の闘病中に作って下さった歌『愛が動きだす』を患者家族の皆様に歌って頂き、埋もれていた歌も日の目を見ることが出来、大変喜んでおります。
 琢己が亡くなってから早や半年が過ぎ、初盆を迎えましたが、今もなお、お花や、お線香をたむけて下さる人達が仏壇の前に釆てくださります。母親はそんな方々に励まされ、悲しみや寂しさを和らげているのだと、私は皆様に感謝しております。
 裁判では、国(元厚生省)又は企業の責任をはっきりさせ、謝罪させる事です。頑張ります。
 毎年8月24日に厚生労働省前で薬害根絶集会が開かれています。多くの人が集会に参加し訴えている事を国は重視し、厚生労働省の前庭に建立されている薬害根絶の誓いの碑に込められた願いの大きさを肝に銘じて、国民の生命と健康を守るという役割を忘れず、安心して医療が受けられる体制を推し進めて頂きたいと切望致します。
 今後も皆様の変わらぬご支援をよろしくお願い致します。

1000人集会?いえいえ1200人集会!

大津訴訟弁護団  国分 妙子

 5月27日にびわ湖ホールで開催された「薬害ヤコブ病の早期全面解決を求める 5・27 1000人集会」には、多くの方々にご参加いただき、本当にありがとうございました。翌28日が大津訴訟の事実上の結審ということもあり、この集会の成功は原告、そして弁護団の大きな励みになりました。
 患者家族の会の方々も、何ケ月も前から「この集会に向けて、どんなことができるだろう」と頭をひねりました。ビラ配りと会合を重ね、また当日は多くの方々にご協力いただき、講師役の鈴村さんと共にペンシルバルーンの作品を作って参加者の方々に配ることが できました。小さなお子さんたちにとって、この集会が「原色の思い出」として心に残ることを祈り
ます。林琢己さんの歌は、一回の練習しかできませんでしたが、加藤さんのギターのリードで無事に歌えました。しかし、何よりも驚いたのは、集会準備の打ち合わせで甲西町に行ったとき、支える会の皆様が連日の真夜中までの準備作業をして下さっていることを知ったときでした。全く頭の下がる思いです。
 川田籠平さんの講演や、各地からのメンバーが参加してくれた大阪モーツァルトアンサンブルの演奏も素晴らしいものがありましたが、何よりも、予想を遥かにこえる1200人の方が来てくださったことは、本当に嬉しい驚きでした。
 訴訟は無事7月2日に完全に結審しましたが、これも今まで訴訟を見守ってきて下さった皆様のおかげに他なりません。どうもありがとうございました。 

《アンケート紹介》

 集会に参加の皆様、暖かい心から の励ましのお言葉ありがとうございました。
お寄せいただいた中か ら、紹介させていただきます。

 若くしてこれからの夢を打ち切られた林琢己くんの死を無駄にしな いためにも、どうか、裁判の早期 解決、勝訴を心から応援致してお ります。    滋賀 霜尾光子

 患者の会の方たちの切実な訴え、その中にある無念さと憤りに胸が 痛み、Bブラウン社や厚生省の無 責任さに怒りを感じます。こうした問題を私達の力で少しでも拡げ 全面勝訴と企正な裁判が行われる 事を念じます。  岐阜 伊藤清

 1000人集会に参加して、全国で多 くの患者家族の方々が闘っておら れることを知りました。近くのた か子さんの家族他周囲の方の情熱 に感激しております。勝訴にむけ 頑張って下さい。滋賀 山中玲子

 友人に誘われて参加し、初めてヤコブ病の事、訴訟の事を知りました。どの方のお話にも感銘を受け 参加して良かったと思いました。 これからは無関心でいず、協力、 応援をして行きたいと思います。      大阪 川端高子

 川田龍平様の講演は見事に説得力 あるものでした。真実の言葉に心 動かされました。国とは国家とは 誰がつくるものなのか、深く考え させられました。真の楽しみは一 人一人の大きな責任義務の上に築 き上げられるという言葉、正にそ の通りです。  滋賀 三品信子

 1000人集会を企画し1000人を超え る集会とは何と素晴らしい集いで しょう。大津の支える会の方々、本当にご苦労様でした。全てが感 動でした。最後まで頑張りましょ う。絶対勝つ、そう信じています。 東京支える会事務局 尾崎初代

 大学のゼミで国分弁護士さんにお話を聞いて集会に参加しました。 厚生省の人たちは命の重みをどれだけ認識しているのでしょう。関心を持って報道などに接していきたいと思います。    京都 牧野礼男

1000人集会に参加して

 「こんなにたくさんの人達が、 関心を持って集まったんだなぁ。 これが、さらに大きな支援となれば・・・」と、5月27日、びわ湖ホールでの1000人集会に参加し て感じました。
 当日、ステージでは、原告の方 々の訴えや、家族の会のみなさん による発表、そして、川田龍平さ んの講演などが行われました。
 それらを通して、これまで、被 害者の方々や、その家族の方々が種々な偏見を受けながらも、病気 と闘ってこられたこと(まだ過去 形にすることはできませんが)、 又、それらひとつひとつが、参加 されたみなさんの心の奥に訴える ものだったと確信しています。
 私も、最初そうだったのですが 薬害について、ヤコブ病について 詳しくしらないという方も、いら したと思います。けれども、こういった集会に参加して頂くことに よって、より多くの方々に知って頂けたのではないかと思います。
 集会では、私は、司会進行役としてお手伝いさせて頂いたので、1000人、正確には、1200 人というみなさんを、ステージか ら見ることができました。あの、みなさんひとりひとりの支援の輪 がさらに広がり、薬害ヤコブ病ももちろんのこと、すべての薬害根 絶にむけての、大きなカとなるこ とを、心から祈っています。      司会 寺田 智子

「1000人集会を終えて」

 私が、このヤコブ病を知るきっかけに成ったのは、谷三一君と友人であり、1996年5月のことでした。たか子さんが何か様子がおかしいと言うことで、友人数人が集まり、訳がわからず顔を見合わせ心配するばかりでした。やがて新聞報道で「硬膜移植によるヤコブ病の発症」という記事に遭遇し、それから病気についての資料収集が始まりました。一方、たか子さんは急激に状態が悪くなり、7月には京大病院へ入院しました。
 そして、三一君の決断に依り、提訴の準備、勉強会と慌ただしい日々を過ごし、11月、国内最初のヤコブ病訴訟となりました。
 さて、公判の方も翌97年2月から始まり、東京訴訟の方も秋から始まりました。支える会もいろんな集会・講演会等に参加を重ねながら、2000年4月のぴわ湖小ホールでの集会の成功を収めることに成りました。この上に、2001年の結審前の1000人集会の計画が生まれたのでした。委員会を重ね、人の集め方、イベントの内容を集中議論してきました。
 プログラムには大阪モーツァルトの演奏は素晴らしく、川田龍平君の講演も、自分の経験談による説得力はすごかったと思います。
 何よりも1200人の方々が集会に参加していただいたことが、感激と共に原告団にも大きな力を得たと思います。最後に、再び薬害が繰り返されない為、我々も頑張ります。たか子さん安らかに。   運営委員  植西 敏生

ヤコブ病 年表

S48

1973

7

乾燥硬膜ライオデュラの輯入販売承認

 

1976

 

ガイジュセック(米国)ノRベル賞受賞
(CJDが伝達性海綿状脳症一証明確立)

S62

1987

2

米国の疾病対策センター(CDC)がヤコブ病患者の症例を報告

 

 

4

米食品医薬品局(FDA)が警告

 

 

5

B・ブラウン社が完全不活性化処理導入

 

 

8

JAMAの日本語版8月号にCDCレボートが帝京大教授により紹介

 

 

10

国立予防衛生研究所の北村敬氏が『臨床とウイルス』にCDC和訳を紹介

H元

1989

1

たか子さん、脳外科手術を受ける

H8

1996

6

硬膜移植によるCJD病9名との厚生省・緊急全国調査研究班の新聞発表

 

 

9

たか子さん、ヤコブ病と診断される

 

 

11

大津地裁へ提訴 (1名)

H9

1997

3

世界保健機関(WHO)勧告
厚生省緊急安全性情報(硬膜回収命令)

 

 

6

署名活動始める

 

 

9

CJD薬害訴訟を支える会 発足

 

 

 

東京地裁へ提訴 (1名)

 

 

 

『提訴一年をむかえて』報告会

 

 

 

刑事告発(東京地検)

H10

1998

3

検証(裁判長、被告ら、たか子さん検証)
第2次提訴(大津・東京 計7名となる)

 

 

5

三重集会    於:三重県

 

 

6

CJD薬害訴訟を支える京都の会 結成

 

 

11

『薬害ヤコブ3年をむかえて』の集会
証人尋問始まる(東京地裁)

 

 

12

『薬害ヤコブ病東京支える会』結成

H11

1999

5

当支える会が『みなまた京都賞』受賞

 

 

6

追加提訴(東京地裁3名、大津・東京計10名)

 

 

7

追加提訴(大津地裁2名、大津・東京計12名)

 

 

10

文集『こころの叫び』発行   第3版
『薬害ヤコブ病』シンボ  於:東京
『薬害フォーラム』     於:東京

 

 

11

ヒロ君(北海道)検証

H12

2000

4

薬害ヤコブ訴訟『20世紀解決をめざして』集会

 

 

6

追加提訴 第4次提訴(大津地裁5名)

 

 

8

検証(裁判長、被告ら、林琢巳さんを検証)
『薬害根絶デー』東京総行動に参加

 

 

10

薬害ヤコブ病チャリティーコンサート『秋桜の調べ』
第2回F薬害根絶フオーラム』参加

 

 

12

12・5 『東京1000人集会』 参加

H13

2001

1

林琢巳さん、谷たか子さん逝去
第30回公判

 

 

3

岐阜集会      於:岐阜県中津川
追悼集会      於:滋賀県大津(ビアザ淡海)

 

 

5

‘5.27.1000人集会’ 於:滋賀県大津(びわ湖ホール)

 

 

7

第33回公判 結審 和解勧告

 

 

8

厚生省へ要求書提出

 

会報
第11号

2001年2月1日

コスモス
秋 桜

CJD薬害訴訟を支える会事務局
〒520-3254
滋賀県甲賀郡甲西町岩根中央3-5-2
Tel/Fax 0748-72-1478

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薬害ヤコブ病訴訟

弁護士 国分 妙子

 2001年は、薬害ヤコブ訴訟にとって大詰めの年です。昨年12月4目の証人専間で、現在提訴済みの原告の方々については証人調べが終了し、今年は結審に向けて、準備書面で原告被告双方の主張の攻防が繰り広げられます。
 私は弁護上になって間もない時期に2回目の期日を迎えた大津訴訟の弁護団に加えていただきましたが、提訴後早くも4年が経過しました。
 期日の度に裁判所に提出される膨大な署名の量に圧倒されましたし、いろいろな方々から弁護団にも励ましのお言葉をいただきました。
 昨年中は支える会が日本フィルの松本さん、後藤さんらを招いて開いて下さったチヤリテイーコンサートの収益を、私が事務局を務める患者家族の会に多額のカンパもしていただきました。
 この訴訟の中でいろいろな方々に励ましていただき、育てていただき、こんなに心のこもった支える会の皆様と出会うことができて感謝の気持ちでいっぱいです。そんな皆様と手を携えて、判決までのあと一息、勝訴に向けて何をしたらいいのか。今一番悩んでいるところです。
 昨年12月5日の東京での集会の後、懇親会に来られていた川田龍平さんが、『HIV訴訟は、結審後に一層盛り上がりました。』と言っておられましたが、ヤコブ訴訟でも、これからが正念場です。21世紀が薬害のない明るい世紀となるよう、弁護固も皆様と共に努力していきたいと思います。

薬害ヤコブドイツ・ツアー

薬害ヤコブ病東京訴訟 原告
池藤 勇

 平成12年6月行われたツアーの最大目的は、メルヅンゲンにあるBプラウン社でしたが、抗議はNOで要請という事で何とか設けてもらったので、交渉がどうなるか心配でした。ところがタクシーで案内されたのは、小高い丘の中腹に建てられた新しい工場と事務所の建物でした。
 案内されるままに大きな応接間に通され、長いテープルに相対して座りました。先方から四人出席し、中には裁判の度に東京へ来ている役員であり、弁護士でもある人もおりました。お互いの紹介と今日の事について阿部先生が話をし、次は私のドイッ語の訴えでした。(以前東京での交流会の時、弁護上の先生や東京支える会の人から、ドイツヘ行った時は通じなくてもドイッ語で原告らしく訴えたらと言われ、調子に乗ってやりましょうと言った手前、もう仕方なく覚悟していました。)声は大きくと思ったためヨレヨレのドイツ語でしたが、むしろ原告らしくてよかったと私一人だけ納得しました。
 前に居るBプラウン社の四人は笑みをたたえておりましたが、私のドイツ語の痛烈な内客の後に日本語で「一番言いたい事は、家内を帰して下さい」と訴え、通訳の方が同時通訳した時は、四人の顔から笑みは消えておりました。
 その後こちらの出席者(白井先生、中田先生、加藤さん、高橋さん、堀内さん、岡部さん、池藤)が思う事を次々に話すと、通訳が両時通訳をしてくれました。
 一時間の約束で、運の悪い時は書類を渡すのみと思っていた要請が、二時間半程まで延長となり、有意義な要請となりました。
 ドイツへ来てよかったと、本当に心から思いました。

Bプラウン社要請文 Bプラウン社殿 2000.6.7

ヤコプ病東京訴訟原告囲
池藤勇

 私の妻は、脳手術の際、貴社の汚染された脳硬膜LYODURAでヤコプ病を発症し、死亡しました。そして家族は悲惨な思いで一
杯です。
 Bプラウン社は不当なヤミ取引で硬膜を集め、ドナー選択もせず、プーリング処埋をし、効果のない消毒をしました。そのため他の硬膜も汚染し、危険な状態で輸出し、日本で多くの被害者が出ました。
 もしこれが、日本の製薬会社であったら、会社の存続は絶対に許されません。
 Bプラウン社は重大な過失を速やかに認めて、被害者の救済を要請する。

薬害根絶フォーラムに参加して

運営委員 
加藤 祐二

 真夏日が続く東京に、原告の谷三一さんと支える会から20数名が参加しました。薬害エイズ事件の教訓から、薬害根絶の決意を、「誓いの碑」として1年前に建立した厚生省。その「誓いの碑」の前で薬害根絶デー実行委員会は厚生大臣に対して、薬害ヤコブ病訴訟、MMRワクチン訴訟、B型肝炎訴訟について、国は責任を認めて早期解決を求める要請書を丸山医薬安全局長に手渡しました。
 乾燥硬膜移植でヤコブ病に感染した問題で、厚生省研究班が1988年2月に厚生省に提出した報告資料で、硬膜から感染の可能性を指摘する資料を作成していたことが明らかになったのに、原告から要請書を受け取る厚生省の態度は事務的に処理するようで、非常に残念でした。
 引き続き厚生省前で、いまなお続いている薬害を根絶するため、広く社会にアピールしようと、被害者、患者囲体、支援者などが集まりリレートーク。私も「葉害ヤコプ病訴訟二十世紀解決をめざして」の横断幕を持って参加しました。各団体から厚生省に向かって被害者の早期全面救済を訴えました。
 15時より議員会館にて各政党に呼びかけ、薬害問題について、薬害被害者の訴えと各政党代表の薬害問題に今どう取り組んでいるのか、国会で今後どう進めて行くのかという意見交換がありました。政党により取り組みの差が有るようですが、各政党の力強い支援もあり、「薬害を二十一世紀に持ち越さないように」私も気持ちを新たにしました。
 18時から厚生省横の弁護士会館で「薬害のない二十一世紀を」薬害根絶を考える市民集会が開かれました。サリドマイド、HIV、MMR、障痛促進剤、ヤコプ病の訴えを報告の後「国、企業に働きかけ、監視していく」と宣言するアピールが採択されました。
 朝早くから夜遅くまでの終日行動でしたが充実した一日でした。

薬害ヤコブ病訴訟
「あなたにもっと知ってほしい」

大津訴訟原告
E-W

 12月5日東京で行われた集会には、約550人の方々か集い、大津訴訟の原吉、支える会も参加しました。大津訴訟原告のE‐Wさんの訴えの一部を紹介します。

 主人は結婚して2年半、子供がまだ十力月の時異常な行動がでるようになりました。原因がわからなかったので、沢山の病院を回りましたが、どの病院でも病名は分からず、「怠け者」などとひどい事を言われた時もありました。仕事一筋の夫は、そんな状態になっても出勤を続けましたが、発病からニカ月位で、遂に働き続ける事ができなくなり、それから十日程で緊急入院しました。診断は「過労」でした。その後、精神料、神経内科と転院し、ヤコプ病の診断を受けました。病院は自宅から二時間もかかり、朝六時に子供を実家に預け、主人の世話に通いましたが、入院費用で貯金が全て無くなりました。医師の勧めもありやむなく神奈川の夫の実家の近くの病院へ転院し、私は大阪で働き送金しました。子供も小さく費用の間題もあり、月一回看病に行くのが精一杯でした。
 そんな生活が二年近く続き、夫は亡くなりましたが、その死に目には会えませんでした。夫が亡くなった後、子供はお父さんの写真が見たいといってアルバムを見せると泣いていました。この子にとって父親をヤコプ病で亡くした事は一生残ると思います。
 私は夫の無念を晴らすとともに夫が薬害ヤコプ病である事をはっきりさせたく思い、裁判に踏み切りました。しかし、病気への偏見があり、名前を公表すると、興味本位の人々から子供が差別や偏見の目で見られたり、子供の耳に間違った情報も入ります。大きくなった時、父親がどうして亡くなったのか私からきちんと話したいです。それまでは私は母親として子供を守らなけれぱなりません。一人でも多くの人に薬害ヤコプ病の正しい知議を持ってもらい、名前を公表てきるようにと願っております。

薬害根絶フォーラムに参加して

運営副委員長
山本 邦夫

 十月十四日、第二回薬害根絶フォーラムが東京医料歯科大学で開催された。主催囲体は全国薬害被害者団体連絡協議会(HIVなど7団体)で、薬害根絶を実現するため1999年10月に団体の枠を超え結成され、薬害被害者として悲惨な被害体験を訴えるとともに、全ての人々が安全な医療サービスを受ける事ができる社会と薬害防止を、一致固結し全力で取り組んでいる団体です。
 第一部は薬害被害の実態報告で薬害ヤコプ訴訟原告の池藤さんが亡妻の元気な頃の事と、発症してからの苦しい闘病生活を涙ながらに訴えられた。第二部のテーマは『薬害の構図、私達が教育に求めるもの』で、ヤコプ訴訟からは原告の上田さんが参加し、「薬害根絶と教育に薬害被害の教訓が生かされているか」という内容で、文部省交渉では教科書から薬害全てが消えている事を指摘し、学校教育に薬害教育を盛り込む事を要求。厚生省交渉では医師国家試験作成のガイドラインに薬害が明確に位置付けされていない事、薬害が多くの入に知らされていない事等を指摘した事が報告され、教育の原点は人を幸せにすることてあり、人の痛みが理解できるところから出発しなけれぱならないと討議された。最後に「一人でも多くの方に薬害の事を知っていただき薬害
根絶の輪を広げて行さたい」との声明文が発表された。出席者は約250名。
 薬害は何故なくならないのか?
当日の資料の中に、政・官・財の鉄のトライアングルとして、製薬会社の審議会と厚生省の密着度のすさましさ、一部大政党への献金データがあった。年に何干万もの献金があり、薬害を起こした企業でさえ献金が続いている現在、製薬会社との間で「天下り」「献金」があってどうして国会の場で薬害を早期に解決できるのか。政治家の方々は襟を正して貰いたいものです。
 先日、あるテレビ番組の某政治家の言葉の中に、薬害被害者の人権を無視した発言があった。「選挙中に農家を回っていて近づいて行ったら、家の中に入ってしまわれた。まるでエイズが来たかのように思われたんでしょう」と、とんでもない発言をしている。薬害エイズで二千人近い被害者を出しておきながら、人権を無視した言葉は許せません。人権を無視し薬害を埋解しないで、人の命の大切さが分かるのでしょうか。教育法を改正し、もっと人権の大切さを被害者の立場になって、一入の人間である事を忘れずに発言して貫いたいものです。
 私たち一人一人が真剣に考え、今後このような薬害がない事を願おうではありませんか。

 チャリティーコンサートに
参加して

坂田 ナルミ

 私にとって久しぷりの演奏会だった。会場のプラームスホールは国道からすこし入ったところにあるが、支える会の人が案内に立っておられて、ありがたかった。
 私は音楽は詳しくないけれど、クラシック音楽は疲れを癒してくれる。日本フィルハーモニーのバイオリン奏者の松本克巳さん、ビ
オラ奏者の後藤悠仁さんの演奏にホッとさせて頂き、忙しく過ごしている私にとって、人間回復の調べだった。
 プラームスホールは、こじんまりしていてゆったりできるホールだった。第二部では、ヤコプ病で亡くなった患者・遺族の好きな曲
をリクエストにこたえての演奏会だった。リクエストされた曲は、赤トンポ、琵琶御周航の歌など、私達が日頃口づさむ歌だったので、会場のみんなも声を出して歌った
・…亡くなった人にまで届くように・…・
 支える会の原告を励ます昔楽会でのリクエスト曲は、原告の方々にとっては切ない思い出となった曲だったであろうが、曲を聞き、歌ったみんなが励まされた。人はこんなにも優しいのだと思う。薬害ヤコプ病にさえなっていなけれぱ、今も夫婦で、家族で仲良く歌っていた曲だ。厚生省が人の命を第一に考えていれば、こんな事にはならなかったはずだ。
 たった一人だった原告も、今は数も増えて、狂った社会を正す力が大きくなったと感じた音楽会だった。
 支える者、支えられる者が一体になってご元気の頂けた演奏会だった。

 チャリティーコンサート
アンケート紹介

 秋の夜の一時やさしいやさしいコンサートとても意義があり、改めてヤコプの恐ろしさを実感いたしました。ご家族の方達もこのコ
ンサートで少しでも癒されたことでしょう。一日も早い解決をお析りいたします。お二人の演奏家に感謝致します。
                                             (主婦 55才)
 被害者のご家族の思いがよく伝わり、素晴らしい演奏会でした。
                                             (男性 53才)
 チャリティコンサートに参加するのは初めてで、ヤコプ病について何も知らない私のような人間も薬害ヤコプ病について知るよい機会だと思いました。
                                             (学生(女性) 22才)

訃報

林琢己君        1月20日逝去
谷たか子さん      1月23日逝去
お二人のご冥福を心よりお析り申し上げます

集会のご案内

◎岐阜集会        三月十日(土)    中津川市健康福祉会館  (岐阜県中津川市)
◎追悼集会      林琢己君、谷たか子さん   三月十八日(日)   ピアザ淡海(大津市)
◎1000人集会     五月二十七日(日)    ぴわこホール(大ホール)
  一人でも多くの方々のご参加を お待ぢしています。

大津訴訟 公判日程

◎三月十九日(月)  PM1:10〜  [企業の責任追及]
◎五月二十七日〈月) PM1:10〜
◎七月二日(月)   AM10:30〜  [結審予定]

署名協力お願い

『薬害ヤコプ病の公正な判決を求める要請書』
 結審に向けて、新しい署名活動が始まりました。前回の署名にご協力いただいた方も、再度ご署名お願いします。署名用紙は事務局にあります。

編集後記

 林琢己さん、谷たか子さん、お二人の旅立ちは、悲しみと梅しさでいっぱいです。
 薬害ヤコプ訴訟早期解決を求め二十世紀解決には至りませんでしたが、二十一世紀は、二度と薬害が繰り返されない世紀となる様、心から析っています。
 今年も、支える会にご支援ご協力、宜しくお願い致します。

 

会報第10号 秋桜
薬害ヤコブ病訴訟

20世紀解決をめざして
平成12年4月16日(日)13:00〜16:00

     
受付    
開会    
報道特捜プロジェクト『薬害ヤコブ病』ビデオ上映 (日本テレビ〉
大津訴訟   被害者の訴え 大津訴訟原告 谷 三一氏
  被害者家族 上田 宗氏
『ヤコブ病薬害訴訟の意義』 弁護団長 中島 晃氏
大津裁判経過報告 大津訴訟弁護土 三重 利典氏
東京訴訟被害者の訴え 東京訴訟原告 池藤 勇氏
東京裁判経過報告 東京訴訟弁護士 阿部 哲二氏
幅広い市民運動を一一サリドマイド訴訟の経験から 佐藤 詞道氏
休憩    
講演『薬害の構図』   中村 敦夫氏
アンケート回収    
独唱 声楽家 森 みち氏
東京の支える会 支援者代表 高橋 昌平氏
京都の支える会 支援者代表 梅村 賞氏
アンケートの紹介    
閉会のことぱ CJD薬害訴訟を支える会  
閉会    

開会のことぱ  CJD薬害訴訟を支える会 運営委員 植西清明
 本日は、この集会に多数ご参加頂きまして、心より御礼申し上げます。
 1996年に、谷三一君が全国で初めて、この重大な間題を法廷に訴えて始まったヤコブ訴訟も、今年で5年目を迎えます。
 この間、被害者はもちろん、その肉親の方々の心の痛みや負担を思いますと、言葉で言い表せないものがございます。
 本日のタイトルに‘一日も早い解決を’との願いを込めました。
 最近も、警察等、お役所の怠慢や無責任さを思わせる事件がいろいろ報道されていますが、この様な体質を正していくためには、私たち自身が結東し、声を強く上げなけれぱならない状況が、より必要になっていると思います。
 本日の集会を通じまして、薬害ヤコブ訴訟に対するご理解を深めて頂き、ご支授の輪を大きく広げて頂きますよう、心からお顧い申し上げます。
 それでは、“薬害ヤコブ訴訟20世紀解決をめざして’始めさせて頂きます。
 よろしく、お願い致します。

被害者の訴え 大津訴訟 原告 谷三一
 薬害ヤコブ病大津訴訟原告の谷です。
 妻たか子は、今、植物状態で鼻からのチューブの栄養だけで生きています。
 まず、元気だった時、甲西町農業セミナーで発表した妻たか子の声を間いて下さい。
    ※たか子さんの肉声のテープ2分・・・・・
 こんな思いで一生懸命生きていた妻が、四年前の桜が咲くちょうど今頃、妻は不調を訴え、その後三カ月ほどで、私の呼ぴかけにも答えなくなりました。
 薬害でヤコブ病になり、言葉を失い、目はほとんど閉じていますが、時々目を開け、何かを見つめています。少し目を動かし、私に何か言いたいような顔をしています。そんな時、「たか子、たか子」と、何度も声をかけ、「お父さんわかるやろ。早よう元気になって秋田へ行こう。」と、無言の妻と会話をします。
 時々、妻の目には涙がたまっております。何も言えない悲しさか、呼吸をするのが苦しいのか、もうこれだけ頑張ったのだから楽になりたいと言っているようにも見えます。私は、またそんな時にも妻に声をかけ「天気が良く、暖かくなったら車イスで散歩しょうな」と言い、病気の事や、いやな事を忘れ、ほんのひと時の幸せを二人で週ごし、車イスでのデートを楽しみたいと思っております。
 今、私たちを苦しめている「薬害」。人間だれもが持っている生きる権利を奪われた妻。
 妻のように薬害ヤコブ病で苦しんでいる北海道の16歳のヒロ君、大津の病院で間病している31歳の林琢巳君。病気の原因もわからず亡くなられた人や家族は、さぞ無念だと思います。
 私は、妻やこのように被害にあった人や家族の為、また妻の無含を晴らす為に頑張りたいと思います。皆さん応援を宜しくお順い致します。ありがとうございました。

被害者の訴え 大津訴訟 原告 上田 宗
 私の父は咋年12月、約1年の寝たきり状態での入院後、享年71歳で死んでいきました。クロイツフェルト・ヤコブ病、一咋年末の入院後2週間で主治医からこの病名が告げられました。
 父は開業医をしていました。1987年7月、髄膜腫という良性腫瘍に対して脳外科手術を受けました。その後の経遇は順調でしたが、1998年頃になると運転中、急発進、不注意が目立つようになりました。夏頃より両下肢に耐えがたい移動性の痛みが出現し、整形外科、血管外科を受診しましたが原因不明。神経内科では脳波、MRlなど施行されました。しかし脳波などを5カ月後に再検とのみ指示を受け経過観察となりました。
 その頃、私もまた医師ですが、父に言えた事は、「医者なんだから自分で診断して。家族を診るのはいやだ」でした。
 1998年12月末のある日、歩行中壁にぷつかるようになり、コップの水をこぽし、食事も皿に顔を近づけ震えながら食べるようになりました。
 翌日、症状がさらに悪化した為、公立病院を受診し即入院となりました。脳幹部梗塞を疑い治療が開始されました。
 年末で病院が休日体制となるため、点滴を家で続けることとし外泊としました。脳梗塞であることを疑わず、父も家族も不自由ながら明るく過ごしました。しかし、短時間でさらに病状は進行し、指先に振えがみられるようになり、字もよく見えなくなりました。年が明け父を病院へ帰しましたが、この頃にはほとんど歩けなくなり、話し言葉も聞きとりづらくなっていました。私はこの時点でこの異常な病状の進行を脳梗塞ではないと考え、外泊について後梅していました。そして、主治医より私が告げられた病名は、ヤコブ病でした。病名を聞いた私はすぐに「乾燥硬膜の使用のためでは」と考え、父の脳腫瘍の手術にたちあった脳外科医に硬膜の使用につき質間しました。脳外科医はすぐに「残念ながら硬膜を使用していた」と正直に言ってくれました。
 私は硬膜移植でヤコブ病が問題になっていることは知っていました。しかし、父の手術で硬膜が使われた可能性を考えたこともなかったし、家族がまさかそうなるはずはないと思っていました。私の知る限りもっとも悲惨で衰しい病気の一つがヤコブ病でした。現状がヤコブ病の可能性を示す中でそんなはずはない、ヤコブ病にしては痴呆症状がないと一生懸命言い聞かせましたが、出るのは涙だけでした。
 その後父は、主治医に自分の病名の告知を望みました。しかし告知は得られず、私が告知しました。ヤコブ病の可能性が高いこと。硬膜移植によって起こった薬害であること。数日で意識がなくなること。100%死亡すること。を説明しました。しかし、父は冷静にそのことを受け止め、私と、父の人生が最高であったことや、植物状態になった後にどうしてほしいかなどを話しました。
 翌日父は、付き添いの母に「悔しい厚生省にいってくる。」と言って立ち上がって興奮したそうです。父に妹たちもヤコブ病について調べそれを説明しました。それに対して「突然ヤコブ病といわれても手術があまりに昔のことでぴんとこない。しかし、ヤコブ病も癌も病気であることに変わりはない。現代の医学を信じたい。希望をもちたい。」と言っていました。また、「自分が死んだら、是非解剖をして、今後の医療に体を使ってほしい。」と私に訴えました。
 その後約3日間で無言無動となってしまいました。
 この父との数日の会話でどれだけ私が救われたことか。
 私は父の病状をみながらヤコブ病について調べていましたが、新しいデータはまったく出てきません。国がこの問題に対してどのような対応を取っているか知りたく、薬害オンブズパーソンヘ連絡をとり、大津裁判の弁護士の先生を紹介していただき、ようやく裁判や患者家族の現状が見えてきました。
 父は1年間、肺炎を繰り返しながら頑張りつづけましたが、2000年を迎えずに死んでいきました。死後、父の希望通りに脳を取り出し、組織を診断と研究に生かしてもらうことにしました。病理の結果はヤコブ病で、硬膜移植によるものとして矛盾しないと言うものでした。
 私どもは、裁判を行なっても父の命が帰ってこないことはよくわかっています。しかし、裁判を理由に現在もこの病気と闘っている方たちへの救済さえ拒む、厚生省に間違いを気づかせたい。そして一人でも多くの原告が立つことで、今後発症してくる人への救済体制を作ってあげたい。また、原因不明で医療機関を転々としている患者さんが一人でも少なくなるようにしたい、そう思います。また、87年アメリカで発せられた警告を見過ごしてしまったこの国のシステムはその後エイズ間題を経験してもなお、ほとんど変わっていない様に感じられます。感情的に国や企業と争うのではなく、今後このような悲しい薬害が生まれないように厚生省の人と共に制度を直していけれぱと考えています。

被皮害者の訴え 東京訴訟 原告 池藤 勇
 束京訴訟原告の池藤勇です。茨城県水戸市から来ました。
 3年前、「あっ!これだ」思わず全身に衝撃が走りました。平成9年4月4日の朝刊で「ヤコブ病感染」と書かれた谷さんの記事でした。
 脳手術に硬膜を使用する事がわかり、これは当然防ぐ事が出来たのではないかと思うと、いたたまれない気持ちと、はげしい憤りでいっぱいになり、苦しんで、苦しんで病気とたたかっていた家内が浮かんで来ました。
 家内は昭和62年4月、都内の病院で三叉神経痛の脳外科手術をうけました。脳手術は8時間位かかり成功しました。そして痛みはだんだんとれて来て、よかったと思っていましたら、それから6年1カ月後の平成5年5月に58歳でヤコブ病を発症し、それから2年4カ月後の平成7年9月に死亡しました。
 手術してから6年1カ月後の平成5年5月ごろから、方向がわからなくなる症状があらわれました。「頭が重い。歩くとふわふわして宇宙遊泳している様だ」と言い、又暗い所を大変こわがる様子が出て来ました。きっと三叉神経の手術のあとに何かおこったのではと、手術を担当したお医者さんの開院している千葉県の脳外科クリニックヘ行きました。
 水戸から常磐線に乗って上野に向かっている途中、トイレに行きたいといわれて青くなりました。というのは、家に居るとき、トイレには無理にいっしょに行っていました。ゆれる列車のトイレに1人で入ってうずくまったらどうしょうか、待っている間が長く、呼吸が苦しくなりました。しかし何事もなくほっとしました。きっといっしょうけんめい気を張っていたのかも知れません。
 脳外科クリニックでは、CTと脳波による診断で、手術のあとは異常ないとの事でしたが、脳波は異常が大いにあるため、先生は、「100を後から数えて」といわれ、何と家内はだまったまま口を開きませんでした。
 先生は私に「脳外科の範囲でない。精神科の分野」と言い、「アルツハイマーでは」といわれました。
 その時は急に、お医者さんに対して腹立たしくなりました。家内がアルツハイマーになる訳はない。こんなに苦しんでアルツハイマ一になった事は間いた事がないと。そして、この事は家内には可愛そうで、家内にも他の人にも話しませんでした。
 6月10日、紹介された県立友部病院へ行き、診察をうけました。友部病院は精神科の病院です。
 年配の先生の間診に、家内は身体の具合が悪いためかなかなか答えられないので、私が代わって答えると「本人に聞いているので」とイライラしている様子でしたが、技師の方が持って来た脳波の測定結果を見つめて、しばらくすると急にやさしくなり「この様な脳波ははじめて見た。これは緊急に救いを求めている脳波と思う。千葉の先生がここへ紹介するなんて間違っている。ここは精神を病んでいる人の未る所だ。すぐ脳外科は行く様に」と言って、直ちに近くにある県内でも1〜2といわれる県立中央病院の脳外科部長に電話して下さいました。
 翌日、県立中央病院脳外科へ行き検査をうけましたが、ここでも脳波以外に異状なしでした。その時はもう歩行がやっとの状態でしたので入院させてもらいました。
 入院してから3〜4日、看護婦さんにやわらかい食事を食べさせてもらいましたが、間もなくジュースとお茶程度となり、10日目には持って行ったリンゴをしぼった汁を「おいしいね」と言って飲んだのが最後で、水ものみ込むことが出来なくなりました。そして話も出来なくなりました。
 ここの珍断は「脳炎の疑い」でヤコブ病の診断がつきませんでした。家内は急速に悪くなって行きましたが、多くの検査をしても脳波以外異常がないため、治療は出来ませんでした。
 手おくれになっては大変と、水戸済生会総合病院に転院しました。栃木県自治医大の脳外科と交流のある病院で、ここでヤコブ病と診断をうけました。
 当時ヤコブ病がどんな病気か私は知りませんでした。娘に話すと「それではお母さんは助からない」と泣き出し、びっくりして娘が持っていた「脳の病気」という本を見ると、ヤコブ病について「これはごくまれな病気だが、いったん感染すると絶対治らず、確実に死ぬ」とありました。背すじに冷たいものが走り、思わず耳が遠くなり、悪い夢を見ているのではないかと思いましたが、その内に現実と気づき「妻が死ぬ・・」気が動転しました。死なせてなるものか、家内のためなら二人で築いたこの家も、土地も、私の命もいらないと思いました。
 ヤコブ病について、国内、国外の脳外科に無我夢中でたずねましたが、今まで助かった例はないとの事で、死をいやでも覚悟しなければならなくなりました。
 「奇跡を信じて」という医師の言葉に頑張りました。亡くなった妻が家に帰った時、赤みを帯ぴている顔に、もしや奇跡でもと思って、急いで額に手を当てました。ドライアイスに埋もれた顔は、氷の様でした。
 火葬場で骨を拾う時は、これが家内かと、あまりにも変わりはてた姿に、もう奇跡は決して起こらないと思うと、急に力がつきてしまいました。
 いつかスーパーで2人で買い物したことを、雲の上の幸せの様に感じました。
 新聞で硬膜移植を知り、手術した病院でドイツBブラウン社の脳硬膜を使用していた事がわかり、更に研究班の発表した、当時43名であった硬膜移植によるヤコブ病患者が3名追加になり、その中に家内が含まれている事がわかりました。
 この汚染された脳硬膜さえなかったら、家内は今も元気で居り、家族もこんなに傷付く事はなかったと思うと、やり切れない思いでいっぱいです。
 はじめは谷さんと私だけで、私にとっては心細い思いでしたが東京では今、被害者9名の方が原告に加わっております。患者家族の会も2回開きました。
 目標の今年こそ、私達はどうすべきか、先生方の指導をいただき、患者家族が手をとり合って頑張って行きたいと思っております。

薬害ヤコブ病の今世紀中の解決に向けて 薬害ヤコブ病弁護団 団長 中島 晃
 谷さん夫妻が大津地裁に提訴したことによって始まった薬害ヤコブ病裁判は、提訴から今年で満四年を迎え、いよいよ今世紀中の解決に向けて重要な局面を迎えています。提訴以来三年半あまり経て、谷さん夫妻だけだった原告も大きく広がり、四十人を超える原告団になっています。また提訴した患者さんの数は二十人に達しています(平成12年7月末現在)。
 こうした原告団のたたかいの輪の広がりにつれて、支える会が滋賀県をはじめ、京都、東京と各地で結成され、支援の輪も大きく広がりつつあります。
 また、咋年十月には、東京で薬害ヤコブ病間題全国シンポジウムが開催され、桜井よしこさんをはじめ、薬害事件に関心がある専門家によるヤコブ病間題に開心がある専門家によるヤコブ病問題に関する共同の討議がなされ、国の責任がうきぼりにされてきています。
 さらに、国会でも自民党から共産党まで、党派を超えて国会議員の皆さんが薬害ヤコブ病に注目し、国会質間等で取り上げて、厚生省の怠慢を追求し、この間題の一刻も早い解決に向けて、様々な取り組みをしていただいています。こうしたなかで、二度とこうした薬害を繰り返さないという薬害根絶に向けた多くの国民の共通した願いの実現と深刻な被害に苦しむ薬害ヤコブ病の被害者の早期救済に向けて、いまこそ一層力をあわせて頑張りぬこうではありませんか。

大津訴訟経過報告 大津訴訟弁護団 事務局長 三重 利典
 大津訴訟は、本年度内の結審に向けていよいよ証拠調べの山場に来ています。
 1998年3月9日に谷たか子さんの検証に始まった証拠調べは、1998年12月21日に佐藤猛証人、1999年2月1日に中村好一証人と続きました。国の設置したクロイツフェルト・ヤコブ病等に関する緊急全国調査研究班の班員である両証人によって硬膜移植とヤコブ病罹患との間に因果関係があることが立証されました。
 1999年6月14日には、片乎例彦証人により、国がヤコブ病の発症を予見可能であり、被害の発生を防止得たことを証言していただきました。
 1999年10月4日には、国側証人北本哲之の反対尋問により、専門家とはとても思えない不勉強であることを明らかにし、ライオデュラが組悪品であったこと、硬膜による感染の危険性があったこと、ドナー選択が重要であり、薬害防止が厚生省の任務であることなどを認めさせました。ビー・ブラウンの出したマイル証人への反対尋問でも解剖助手が違法に硬膜を採取していたこと、汚染された硬膜をプーリング処理していたこと、アルカリ処理に変わっても旧製品を売り続けていたこと、ドイツで製造停止になっても日本に通知もしていないことを認めさせました。
 今後4月17日には、ビー・エス・エスの山本高嗣証人の反対尋問、5月22日には厚生省の役人の尋問が予定されています。その後は、個別の患者さんの尋問に移り、今年度内の結審に向けた戦いを展開していきます。
また、原告が増え大津で新たに6名患者についての提訴があり、東京を含めると15名の患者となりました。ついに2桁の患者数となり、国を追いつめる仲間が増えたのです。弁護団として今後も全カを尽くしますのでご支援の程よろしくお願いいたします。

東京裁判経過報告 薬害ヤコブ病 東京弁護団 阿部 哲二
 東京訴訟弁護団の阿部です。
 東京訴訟も大津訴訟と歩調を合わせ、訴訟は大きな山場を迎えつつ進んでいます。
 97年9月に提訴した東京訴訟は、98年末から証拠調べに入りました。これまでに、片平洌彦証人、佐藤猛証人が大津と同様に原告側証人として証言し、予見可能性・因果関係などにつき、原告側の主張が正しいことを明らかにしてきました。これに対して国は、札幌医大の端和夫証人をたてました。ヒト乾燥硬膜ライオディラがいかに便利で必要だったかを立証しようとしたのです。しかし端証人は便利だったと証言したものの、それ以上の証言はされませんでした。そして、二回目の期日では原告側に立ち、ライオディラがなくとも手術はできたこと、危険情報が流されずにこのような結果となったことは脳外科医として残念でならないと証言しました。
 Bブラウン社はクレッチマーというドイツの学者を、ビーエスエス社は輸入承認をとった山本和雄被告に証言させていくことになります。しかし、どのように証言しようと、危険な製品を作り、輸入し、承認した被告らの貴任は明らかです。
 東京訴訟には、今年1月3名の被害者の家族が原告団に加わり、合計9名の被害者の事件が係属することになりました。
 訴訟は夏までに総論立証が終わり、9月からは個別立証に入ります。
 原因物質が特定されていなかったからとか、たった一例では規制ができなかったなどという厚生省の主張を許していては害は再び起こりかねません。薬害ヤコブ病を早期に解決し、21世紀にはこのような薬害が発生しない社会となることを願って、大津の皆さんとともに東京でも闘うことを決意し、以上、東京弁護団からの報告とさせて頂きます。

幅広い市民運動を 一サリドマイド訴訟の経験から一 サリドマイド被害者 北海道浅井学園大学講師 佐藤 嗣道
 本日は、同じ薬害の被害著として葉害ヤコブ病訴訟を支援する立場からお話しをさせていただきたいと思います。
 私は、1962年に生まれましたが、翌63年に最初の提訴がなされサリドマイド訴訟がはじまりました。当初、勝てる見込みはあまり大きくないと考えられていたそうです。裁判支援の市民運動もまだ大きくはありませんでした。運動が本格化したのは、口頭弁論がはじまった71年頃からです。あちこちで今日のような集会が開かれ、全国をめぐるキャラバン隊も組織されました。私は、当時小学生でしたが、街頭でビラまきをしたのを覚えています。このような市民運動が大きく盛り上がる中、ついに被告企業と国が全面的に責任を認め、74年に和解が成立しました。
 この経験から思うことは、裁判に勝つためには、因果関係や過失を立証すると同時に、その内容について多くの市民が関心をもって世論を形成することが必要だということです。多くの人が関心をもつことで、被害者は孤立しなくてすみますし、圧倒的な世諭は裁判官に正当な判決を下す勇気を与えると思います。薬害ヤコブ病訴訟でも、全国津々浦々に至るまで繰り返し事実を知らせ、さらに幅広い市民運動を展開していくことが重要だと思います。われわれ薬害被害者も、この訴訟を支援しています。ともに運動を広げていきましょう。

薬害の構図 参議院議員 中村 敦夫
 ヤコブ病というのは、プリオンという蛋白が異常な性質を持った時に脳内で増殖すると、脳細胞の萎縮などを招き、視カ障害、精神障害、運動機能障害などの器質性痴呆症状を引き起こす。潜伏期間はまちまちだが、発症すると体が動かなくなり、意識不明のまま、l‐2年で死に至る。治療法はまったくないという恐ろしい病気である。
 この病気は、以前に受けた脳外科手術の際に移植された硬膜が原因でなったものだ。
 大脳を覆う膜には3つあるが、その1番外側の膜を「硬膜」という。手術の際に部分的に切除するので、それをカバーするために、通常は本人の大腿筋膜や人工ゴアテックスを移植する。
 一方、日本の医学界では、死者(ドナー)から取ったヒト乾燥硬膜も大量に便用してきた。主にドイツの特定の製薬メーカーからの輸入品であり、日本にも連携会社がある。
 厚生省がヒト乾燥硬膜の使用を促進したのは、取り扱いが便利だということもあるが、何よりも高価で、医療機関の収益が高いからである。
 問題は、この輪入硬膜の多くがヤコブ病に汚染されており、手術を受けた人々に感染したことである。
 その最も大きな理由は、厚生省の検査、医療機関に対する指導の驚くべきずさんさである。汚染が発見された時点でも、すでに病院にストックされていた製品の使用禁止も回収も指示しなかった。
 その犠牲者の1人が谷たか子さんだ。たか子さんは脊髄空洞症の治療のための手術の際ヒト乾燥硬膜を移植された。7年後、肉体的な異常が起き、意識不明になった。牧場経営者である夫の三一さんが医者を問い詰めると、「お宅は牧場だから、狂牛病にでもかかったんじやないの」侮辱するような返事だった。
 あちこちの専門機関を訪ね、調べた結果、輪入製品が原因であるヤコブ病に感染したことが分かった。厚生省の責任を追求しても、のらりくらりの返答ばかりなので、遂に裁判に踏み切った。
 まさに薬害エイズ事件の再来である。
 講演の後、私は谷さんに案内され、自宅で寝ているたか子さんを見舞った。自宅介護は設備が大変で、谷さんはそのための自宅を新築しなけれぱならなかったという。
 たか子さんは、家族の手厚い看護を受け、意識不明のまま、平均より長くもう3年以上も命をつないでいる。顔色もよく、肌もつやつやしていて、とても意識がない人と思えない。そのやすらかな寝顔を見ながら、なぜこの人が、なぜこの家族がこんな目に合わなけれぱならないのかと強い疑問を持った。
 厚生省の役人や医者が、利益にふりまわされず、本来の義務であり誇りである仕事を誠実にやってさえすれば、容易に悲劇は避けられたはずである。
 当局は、今でも尚、責任を回避しようとしている。役人国家の正体である。

東京の支える会から 東京支える会 事務局長 高橋 昌平
 大津のみなさん今日は。
 私は東京の支える会で、事務局長をやっています高橋昌平です。
 私は、東京都職労の中央執行委員をやっていまして、これまで、水俣病やエイズの裁判闘争を支援してきました。
 私と薬害ヤコブ病との出会いは、咋年〈1999)11月未の北海道札幌市内の北大病院での16才のヒロ君のお見舞いからでした。東京の裁判の原告の1人でもあるヤコブ病患者のヒロ君を、東京地裁の裁判官が、現地で検証をすることになり、私は東京の支援者の一入としてこれに立ち会うとともに、北海道での学生さんなどと支援の輪を広げる交流をしてきました。
 ヒロ君は1才半の時に脳腫瘍の手術で、Bブラウン社製の乾燥硬膜が移植され、14年後の発病で、北大病院のベッドの上で、無言無動のままでした。ヒロ君を手術した医師は、札幌の集会で、「手術は成功し、元気になったのに、ヤコブ病になるなんて無念です。」と語りました。
 東京の支える会の事務局長を今年の1月に引き受けたのも、こうした情景を見て決意したわけです。
 東京での支える会の運動は、毎月の裁判の日に、朝は裁判所周辺での宣伝、裁判の傍聴、昼休みの厚生省前集会、タ方は地域支える会での駅頭宣伝行動をとりくんできました。
 今日の大津の集会にも、東京から60人の原告団・弁護団・支援者が参加しました。
 これからの東京の運動は、6月に、被告企業であるドイツのBブラウン本社に直接行って交渉をする予定で、その際、ドイツでBブラウンの薬害スキャンダ:ルをとりあげた緑の党との交流もしてくるつもりです。また、8月24日に薬害根絶デーのとりくみをすすめています。
 なんとしても、20世紀中に薬害ヤコブ病訴訟を解決させるために、ともに頑張りましょう。

京都の支える会から ヤコブ病葉害訴訟を支える京都の会 会員 梅村 實
 一咋年に京都の会の谷口勲さんから、毎日放送特別報道のビデオテープをお借りして、薬害で苦しんでおられる谷三一さんのことを知りました。ビデオを通して、厚生省の対応の仕方に激しい怒りを覚えました。
 滋賀県甲西町の会場で、お母さんの生活ぶりを紹介されるスライドを説明の娘さん達の姿を思いますに、我が娘、生後4カ月の時に髄膜炎の発症で生死をさまよった時の気持ちを思い起こしました。今現在は「障害をもつ子ども達の教育・生活を考える会」の代表をさせて戴いておりますが、思う様には進まない現状です。
 一人ひとりがカを合わせて、一人でも多くの参加を求めて、薬害ヤコブ病の訴訟の、二十世紀中の解決を目指し、微力ではありますが、お手伝いさせて戴きたいと考えております。

4・16大津集会へのメッセージ 東京医科歯科大学助教授 片乎 洌彦
 4・16大津集会に集まられた皆さんへ
 各地からこの集会にお集まりの皆さん
 私たちは、何を願い、この集会に参加、あるいは〈私のように)不参加でも関心を寄せているのでしょうか?
 言うまでもなく、私たちの第一の願い・要求は、ヤコブ病被害者に対し、企業・国などの加害者が一日も早くその責任を認め、謝罪し、可能な限りの償いをすることです。
 谷たか子さんのような生存者には、治療法の一日も早い発見・確立が待たれています。
 本年1月、英国の医学雑誌ランセットは、要旨次のような論文を掲載しました。「スイスと米国の研究者たちは、ある種のペプチドと呼ぱれる物質が、異常プリオンの構造を変化させることを発見した。著者らは、このペプチドがプリオンの感染性を90%以上減少させると見ている。わかり易く言えぱ、これはプリオン蛋白の変化を元に戻す方法なので、ヤコブ病が冶療できる可能性を示す。しかし、実際に患者の治療に用いるにはまだ多くの間題が残っている。」
 そして、その翌月、著名な科学雑誌サイエンスには、次のような諭文が掲載されたとBBCニュースは報じました。「米国の研究者は、スクレイピー病原体の注射を受けたマウスに、サイクリック・テラピロールという抗癌剤を与えたところ、マウスの生存期間が大幅に延ぴた。この化合物は、感染の初期に投与された時、疾患の進行を遅らせることを示している。」
 このように、道のりははるかではあっても、「治療法はない」と言われてきたヤコブ病において、その手がかりとなるかもしれない研究結果が報告されています。
 そうした研究の研究者でない私たちにもできることがあります。それは、そうした治療法の研究が加連度的に促進されるようなアクションを、加害者が誠心誠意行い続けるよう、私たちが要求し続けることです。
 本日のような集会の成功は、その大きなステップとなることは疑いありません。
 すべての被害者に、まず謝罪を!
 生存被害者の冶療法の確立を!
 医療・看護・介護、生活の保障を!
 逝去した被害者の遺族に、誠意ある慰謝料の支払いを!
 そして、今度こそ、薬害を繰り返さないという誓いを現実のものに!
これらのことを一日も早く実現するため、私たちは、引き続き、心を合わせ、力を合わせてゆきましょう。

厚生省クロィッフェルト・ヤコブ病緊急全国調査研究班元班長
国立楕神・神経センター国府台病院 名誉院長 佐藤 猛

 4月16日に開催の「CJD薬害訴訟を支える会」のご案内を有り難うございました。会の盛会をお祈り致します。
 硬膜移植で発症したヤコブ病の患者さんと家族の方々のお気持ちを考えると、一日も早い訴訟の終結が望まれます。ドイツのB.Braun社は全く反省の色もみせず、訴訟の引き延ぱしのみをはかっていることは、限りない憤の念で一杯です。
 ヤコブ病は動物では症状の進行を遅らせる薬が開発されました。患者さんにも発症の早期から使用できるような日が一日も早く来ることを期待しております。
 日々、大変な療養を続けている患者さんとご家族に少しでも安らぐ日がありますよう祈っております。

遅発性ウイルス感染調査研究斑 元斑長
厚生省クロィソフェルト・ヤコブ病緊急全国調査研究斑 元斑員
老人保健施設 春風 施設長 立石 潤

 医療による事故や、さまざまな被害が生じることは非常に悲しいことです。今回の乾燥脳硬膜製品によるクロイツフェルト・ヤコブ病の感染は、あってはならないことでした。しかし、これは平成8年春の英国での狂牛病騒ぎの対策として行われた全国調査の結果、日本での多発が判った次第です。全国調査や研究は医療事故絶滅のカギとなりますので、患者さん、御家族、医療関係者の御協力を今後ともお願いいたします。私共も治療法の開発にとり組んでおりますので頑張って下さい。集会の御盛会をお析りいたします。

滋賀県甲賀郡 甲西町長 関 治夫
 ヤコブ病患者およぴその家族の皆さまの悲しみに心が痛みます。
 患著やご家族、そして支えて下さっている多くの皆さまの献身的な訴えが、真実を明らかにする力となっていることを心づよく思います。
 薬害ヤコブ病訴訟の早期解決をめざし、がんばっていただきたいと思います。
 ヤコブ病薬害訴訟を支える会の輪が、さらにひろがることを祈ります。

開会のことぱ ーヤコブ病訴訟20世紀解決をめざして一
CJD薬害訴訟を支える会 代表 谷口 正和

 本日はお忙しい中、多くの皆様の参加を賜り誠にありかとうございます。
 特に、ご講演していただきました、中村敦夫先生・佐藤嗣道先生には、遠路、お忙しい公務の中、おいでいただき、すぱらしいお話を、ありがとうございました。
 また、森みち様の歌には、被害者の家族の気持ちがこめられ、感激で目頭が熱くなりました。束京から参加の原告の皆様・弁護団・支援者の皆様、本日の集会と、明日の裁判傍聴と、強行日程のスケジュールですが、よろしくお願いします。
 さて、当支える会も4年目を迎え、支える会の活動の証しとなる、審理の促進を願う署名も10万名を超え、各地方議会での意見書の採択状況も、資料の中に入れさせていただきましたが、直前に三重県の伊勢市議会で採択していただきましたので、122となっていますが123に訂正してください。これで北海道・秋田県・大阪府・三重県・徳島県とすこしづつではありますが、広がりつつあります。
 治療法のないクロイツフェルト・ヤコブ病の告知は、即、死の宣告というほど悲惨な病気です。こんなに家族がつらい思いをしているのに、誰も謝罪しない。アメリカでは1例の発症で硬膜の使用を禁止し、それ以後の発症を食い止めたのに、日本ではアメリカの禁止から10年も使いつづけ、現在73名と世界1の数になり、1例では重要視していなかったという厚生省・・・誰が考えても、国の責任は明らかなはずです。
 裁判も重要な局面を迎えており、こんなに多くの支援者と、強カな弁護団で、20世紀解決は今日の集会で、自信から確信へと変わりました。
 どうか皆様今後とも、これまで以上のご支援をお願いいたします。そして、次の集会が勝訴の報告集会になるように、願っています。
 本日は、ほんとうにありがとうございました。

アンケ一ト紹介
 集会に参加の皆様、暖かい心からの励ましのお言葉ありがとうございました。お寄せいただいた中から、紹介させていただきます。
 今までにもシンポジウムや学習会に参加してきましたが、今回改めて厚生省への怒りがこみあげてきました。ライオデュラが危険だという情報を厚生省は知らなかったと言っていますが、そんなはずはないと思うし、自分たちが承認したものなのだから、その后の情報を知らなかったではすまされないと思います。人1人1人の命を預かっているのだから、もっと責任を持ってもらいたい。
 またこ被害者の方の訴えも、いつも涙をこらえながらきいていますが、2度とこんな思いをさせてはいけない、したくないので、私のできる限り力になれたらと思います。裁判の傍聴や署名活動、参加していきたいと思います。
匿名希望

 谷さんの被害については、テレビや薬局での学習会で何度も知る機会があり、ヤコブ病という難病についても少しは知識かあるつもりでした。今回集会に参加させていただき、谷さんの他、上田さん、池藤さんの訴えを聞き、新めて幸せをうばわれた家族の苦しみを感じ、なんという悲惨な病気だろうと心が痛くなりました。このような被害に対し、国や製薬会杜は謝罪し、早急に生活の保障を確立し、できる限りのことをして当然だと考えます。私も本当に微力ながら織場で署名を集めたりしています。ぜひ勝利を勝ち取り、被害者の方の無念が少しでも晴れることを望んでいます。 
東京民医連 たくみ外苑薬局 斎藤 直美

 束京の支える会の一人です。原害の訴えに改めて涙し、裁判への支援も着実に広がっていること「必ず勝てる」と確心しました。労働組合がもっと社会的な役割を果たすことが大事だと思いながら、なかなか広がらない現実にくやしい思いをしています。しかし、人権を守る使命が労組にあるのだから、あらゆる場で訴えるならば必ず広がると思います。薬害はヤコブを最後にしたいと、そして、この運動が国のシスデムを変える力になる様に頑張りたいと思います。
 集会は前回より企画も参加者の広がりなどすごく良かったです。中村敦夫氏の話も、本人のカラーが出て、この運動の支援者としての思いを感じました。
東京労連 日向寺 淳一

 被害著の家族の悲しみ、悔しさ、怒りが改めて伝わって来ました。しかし悲しみを乗りこえた訴えが世論を広げ、学会までをも動かすカになっていることに敬意を表し、自分に出来ることは少しでもやりたいと思います。これから生まれ、これから生きる人たちのためにも。今日の集会で認識も少し深まったように思います。谷さんをはじめ、一人一人の訴えや報告は心打つものぱかりでした。
滋賀県甲賀郡土山町 桐山 ヒサ子

 東京から昨年に続いて2回目の参加ですが、たたかいが確実に前進していることを肌で感じているところです。原告団が増えていること、これからも増えそうだということ、これが大切だと思います。それにひきかえ、裁判の中でその責任がだんだん明らかになっていくにもかかわらず、国や製薬企業は引きのばしや情報かくしを行っていることに大きな怒りを禁じ得ません。このままではますます無貴任社会が続きます。何としても1日も早く解決させることで、人間を大切にさせる社会をつくりましょう。昨年5月に「品川運絡会を結成し、月1回会議を開き、支える会会員の拡大、裁判の傍聴、駅宣伝を行っています。多くの仲間と手をたずさえ、運動に参加しlていきます。
JHIU品川地域支部土田尚義

 私はヤコブ病のことを知ったのは3年前です。父親の友人の方ら話を聞きました。その頃短大1年で、ゼミのみんなにも知ってもらおうとヤコブ病についての発表もさせて頂きました。友達からもたくさんの反響があり、知らない人も多く、驚いていました。まだまだヤコブ病について知らない入、又関心のない人がたくさんいると思います。今日の集会の中でも言われていましたが、やはり多くの人が関心を持ち、運動を起こしていかなければならない、私もそう思いました。一生懸命、国・行政に訴えている谷さんをはじめ、今も病と闘っておられるたか子さん、こうしたたくさんの願い、運動が無駄にならないよう私たちも一日も早く解決するよう願っています。そして、このように頑張っている方たちがいるんだということをたくさんの人に伝えていきたいと思います。 
滋賀県野洲郡野洲町 岩井睦美

 本日の大津集会の大成功おめでとうございます。ヤコブの集会や学習会に参加させていただく度に、たか子さんへの悲しみと厚生省への怒り、そして自分の生き方に対する励みと教えをいただき、いつも感動をし、感謝しています。
 今私たちのまわりは長引く不況と企業のリストラの中で、働く人たちが粗末に扱われ、人間性をゆがめられてきています。たか子さんも、人間が人間らしく大切にされない社会のしくみが生んだ大きな犠牲者の一人です。本来生命や健康を守るべき厚生省が役割をはたしきれていないところに大きな間題があると思われます。今回の集会を契機に、たか子さんの裁判の勝利にむけて、京都でも支援の輪を広げていきたいと思います。 
京都支える会 谷口 勲

 30年近く薬剤師として薬にかかわってきた1人として、微力ながら薬害を無くす、薬害で苦しむ人をなくしたいと思い、いろいろな行動にも参加してきました。私の近くに脳外科はなく、ライオデュラも知らずにおり、あらためて医療材料にあたるものにも、その許可や使用の安全性にも目を向けないといけないことを学びました。
 医学医療も100%完成されたものではないので、最初の1例、どんな小さな今までにないことを真剣にとらえて、情報公開して、研究検討していくことが原則だと思います。谷さんの御主人の「何人死んだら・・・」という言葉に重み、佐藤さんの「多くの人に事実を知らせよう、身近な人から」に、小さな個入でも1入1人が大切にされる社会に、安心して暮らせる社会になるよう努力しなければと、あらためて思いました。 
大阪市西淀川区 中村 玉枝

 私は今まで薬害ヤコブ病について活字でしか知りませんでした。そして、心のどこかで、それで足りているとも思っていましたが、今日の集会に出席し、それは全くの間違いであったことが良く分かりました。これから弁護国の一員として訴訟に関わっていくに際し、自分が何のために戦うのか、例えぱ、目の前の英語の文献を読み込むこと1つにしても、それは何のためなのか、はっきり見えたことは、今回の集会ツアー参加の大きな成果だったと思います。 
東京弁護団 北村 聡子

 大変な思いでこのヤコブ病という病気と戦っているのだと痛感しました。何か出来る事があればと思います。負ける事なく勝利される事をお祈りします。お手伝い頂いている皆様のご苦労にも敬意を表したいと思います。どうぞがんばって下さい。三一さんご家族の皆さんがんばって下さい。心から応援致します。 
滋賀県甲賀郡甲西町 上西 宗市

 今日は友人のさそいで参加させていただきました。私の身内には薬害と縁がなかったので、くわしい事を知らずにすごして来ました。私は友人の叔父の発病、死を通して、この問題を少しばかり身近なものとしてとらえることが出来るようになったと思います。今までのような縁がないのだからという無関心ではなく世の中にアンテナを広げていきたいと考えています。 
京都市伏見区 村田 亜紀

 たくさんの人が来られていてびっくりしました。その分みなさんにCJDが知られたと言うことならうれしいですが、ここに来られた人が患者の関係者で、これだけの人が悲しんでいるという事実を国がわかっていない、わかろうとしないのが、本当に悔しい思いがします。 
京都府宇治市木幡赤塚 河原 理恵

 ビデオをみせて頂き、患者の皆さんや家族の無念さを思うと涙してしまいました。いちばん愛する人をこんな形で病に追いやった薬害--今日報道されている学校や警察などの間題と、何か根元はいっしょの様に感じます。間違いをおこさないシステム--おこしてしまった時の迅速な対応--被害者への手厚い補償がなされ、本当に安心して、誇りをもてる日本だったら高い税金も苦にならないのに--国や厚生省の役人も“もしこれが自分の愛する人だったら…,と考えて、行動して欲しいと思います。私もそうありたいと思います。 
滋賀県守山市三宅町 畑辺 マチ子

集会に参加して 司会 中村 志直子
 「支える会」に入会させて頂いて以来、私にとっては今回が初めての集会でした。前回集会の司会者、加藤恵子さんと共に、司会を担当させて頂くこととなり、準備段階から一部、参加させて頂きました。綿密な打ち合わせや、スムーズに分担して進められる作業の様子を拝見して、改めて、この訴訟のこれまでを思い、訴訟をサポートしてきた会の大きさを感じました。
 当日の司会については、慣れない役目に緊張し、間の取り方や言葉の選び方が不十分で、聞きづらい部分も多くなってしまったことを反省しております。
 壇上から司会をさせて頂いたので、常に会場の方々のお顔を拝見しながら会を進めましたが、会場からの反応の温かさがとても印象的でした。場内は開場時からほぼ満席で、中には長時間立ったままで聞いて下さった方もおられましたが、そんな中でも、原吉の訴え、講演著や司会の言葉の一つひとつに、深くうなずいて下さる方々の姿がありました。特に、声楽家の森みちさんと会場が一緒になって歌った「かあさんのコスモス」では、歌詞が心にしみ入る様に思え、会場が一つになったと感じました。
 谷さんの初提訴から既に五年目となり、追加提訴に立ち向かう原告の方々も増え続けていますが、原告・弁護団の方々の後ろに、このように多くの方々の思いがあり、強い力となることと思います。
 そのことを改めて気付せて頂いた集会でした。

                  (おわり)

----->ジャンプ 森さんの「母さんのコスモス」の楽譜と歌詞

会報

第9号

1999年12月27日

秋 桜

コスモス

CJD薬害訴訟を支える会事務局

〒520-3254

滋賀県甲賀郡甲西町岩根中央3-5-2

Tel/Fax 0748-72-1478

>>> 悲しみと怒りをバネにして <<<

この1年を振り返って

福岡県 高原 和幸
今年の1月30日に義母が亡くなり、まもなく1年になります。義母の葬儀の際は、お心遣いいただきありがとうございました。また、みなさんの署名を集められていた努力が、義父に名乗ることを踏み切らせています。このことで裁判への参加や署名を取ることもやりやすくなりました。お礼を申し上げます。

今年は、家族にとっては大きく変わった一年でした。義母は発病以来ずっと入院していたため、毎日のように妻や義父が病院へ看護に通っていました。毎日通う妻や義父を見て、言葉かけや姿を見せたことが義母に通じていればいいと思っていました。10月に義母の解剖結果の説明を主治医から受けた時、言葉かけなどを義母が分かっていたかを確認しました。主治医が言ったのは、「視覚や聴覚の感覚はあるが、認識はしていない」「脳の反応が鈍くなっていた」ということでした。勝手な思いこみかもしれませんが、妻たちがかけた言葉にゼロに近い確率ながらも義母が認識した可能性があったと感じました。

この病気は、様子を見にいっても言葉にも姿にも反応してもらえず、家族にとってはつらさや悲しみをつのらせるだけです。言葉かけなどに何らかの反応があれば看病する側も耐えられます。その思いから脳の状態を確認しました。1年7ヶ月におよぶ入院の中で、わずかながらも義母が認識した可能性があることが、今は救いの気持ちです。

10月から2回裁判を傍聴にいきましたが、国やピー・ブラウン社は何を考えているかわかりません。私みたいな素人でもそんなことを言っていいのかなと感じることが多く、そして責任は認めようとしません。乾燥硬膜が使用された人の数を考えれば、今後発病する人が増える可能性は高いとしか言いようがなく、その中で、早急に救済処置をしていかなければ家族の苦しみは増すばかりです。そのためにも、すみやかに判決が出て、患者の救済と同時に、同じような薬害が再発しないようにすべきだと痛感しています。

ヤコブ訴訟の現状

薬害ヤコブ病大津弁護団

     大脇 美保

大津ヤコブ訴訟は、この11月で、提訴から3年を経過した。第3次訴訟まで重ね、原告患者数は、6名となった。また、昨年の12月から、証人尋問にはいり、原告申請の佐藤証人、片平証人の尋問が既に終了した。本年9月からは、被告申請の証人の尋問を行っており、9月および10月に被告国申請の北本証人の尋問が行われ、先月の11月15日の期日には、被告ビー・ブラウン申請のゲルハルト・マイル証人の主尋問が行われ、来年2000年1月には、このマイル証人の反対尋問が行われる予定になっている。その後は、被告ビー・エス・エス申請の山本 高嗣証人の尋問が予定されている。

このように、裁判長が交代してから訴訟は非常に早いテンポで進んでいる。東京訴訟においては、被告申請の証人として、被告国申請の証人として、被告国申請の端証人(原告からも主尋問請求をおこなった)、被告ビー・ブラウン申請のニー・カンプ証人の尋問を行っており、重複した証人尋問は行わないことになっていることもテンポが早くなっている原因の一つである。

しかし、一方、この(第2次)提訴後、原告である高原 ヨシノさん、Yさんが死亡されている。私たち弁護団はこのことを重く受け止め、より一層がんばらなくてはならないと考える。

現在、弁護士会をあげて、「司法改革」に取り組んでいるが、裁判所の現在の人的物的施設には多々限界があり、「裁判は長くかかる」のは「常識」とさえいわれるようになってしまっている。しかし、私たち弁護士は、これに「慣れ」てしまわずに、邁進したいと思う。

東京弁護団からの報告

薬害ヤコブ病東京弁護団

白井 剣

1.「どのような検討をするか、検討の方法も含めて、すべて検討中です。」さる12月8日、薬害ヤコブ病の厚生省交渉での担当課長補佐の答弁である。ヒト由来の医療製品による被害の救済制度につき問われ、彼はそう答えた。

この日、原告・弁護団は、薬害ヤコブ病被害者を医薬品副作用被害救済制度の対象にすべきだと厚生省に申し入れ、ヒト由来医療製品の安全面の法的規制と被害救済制度確立など6項目を要求した。

交渉会場には、原告、弁護団、支援者、マスコミ等約60名が詰めかけた。民主、共産、社民の各党の議員もかけつけ、厚生省をきびしく追及した。

2.薬害ヤコブ病をひきおこしたライオデュラは、ヒトの死体を利用した製品であった。硬膜は、病理解剖後の死体から採られた。死体の組織は、重篤な疾患の病原体に汚染されている可能性が高い。米国の大病院の病理部門で、死体の千人に一人がヤコブ病であったとの報告がある。百万人に一人の珍しい病気といわれるが、しかし、死体のなかでかぞえれば、その数字は千倍になる。

ヒトの死体を移植用に製品化することは、非常に危険なことと考えるべきだ。それで生命が助かるとか、それがなければ手術や治療ができないというものでないかぎり、製品化すべきでないと私は思う。ライオデュラは、そういうものではなかった。

製品化する場合には、ドナーの厳重な選別などの安全性確保の措置が不可欠になる。ライオデュラの製造は、きわめてずさんであった。厚生省は、厳格な安全性確保の審査をおこなわずに輸入承認して、大量販売を容認していた。

3.ことし2月1日、ヒト組織・細胞を利用した移植組織を製品化する日本最初のベンチャー企業が誕生した。厚生省は、その製品開発に、特別許可法人をつうじて、今後5年間にわたって約10億円の融資をする。

厚生省は、ヒト由来医療製品のビジネスを保護・育成するのである。しかし、厚生省は、ヒト由来医療製品の被害である薬害ヤコブ病には、責任はないと開き直っている。そして、ヒト由来医療製品による被害の救済制度は、「検討を検討中」と答弁するのである。

医療産業の利潤追求を優先し国民を軽視する厚生省の体質が、ここにも現れている。この体質が薬害をくりかえした元凶であった。

4.来年前半は、厚生省前での抗議宣伝行動をくりかえし、徹底して厚生省を攻めようと、東京弁護団で企画中である。(最初は、1月17日の昼休み行動から)。

ぜひ皆さまのご支援・ご協力をお願いしたい。

薬害根絶フォーラムに参加して

運営委員 

堀江 さちよ

10月23日、東京目黒区福祉センターにて開設され、原告の谷さんと共に3名が参加しました。

前半のテーマは、薬害の実態報告として、いしずえ(サリドマイド)・MMR(新三種混合ワクチン)被害児を救済する会・大阪及東京各HIV訴訟原告団・京都スモンの基金・スモンの会全国連協・陣痛促進剤による被害を考える会・CJD薬害訴訟を支える会・の8団体から被害の実態、経過を発表されました。

次々と起こる薬害。私達の出来る防止策は、必要でない薬は飲まない・使わない・納得のいく説明を求める・使用方法をよく読むぐらいです。しかし、利益主義に走る製薬会社、それに振り回される厚生省の中で、私達の知る事の出来ない薬害が生まれ、被害が繰り返されているのです。20年前のスモンの教訓が生かされていない現状を、次世代の子供達に伝えて行かなければなりません。過去の出来事で終わらせない為に、学校教育の場で、又、生涯学習の場で、薬害問題の学習が出来るよう、「薬害根絶と教育」のテーマで後半は討議されました。前日の22日に、その旨の要望書を文部省に手渡された報告がありました。教科書から薬害の記述が削除されたり教える基準がない為風化しているのが現状だそうです。しかし、署名活動をしていると、子供達は、「どんな病気?」「どうなるの?」と真剣に問いかけてきます。全ての子供達に事実を教え、薬害はおきてはならない学習をする必要があると思います。過去の公判の時、被告国側の証人に立たれた大学の先生が「スモン訴訟を知っておられますか?」との原告側の反対尋問に対して、平気で「知らない」と答えられた。専門家が知らないとは・・・。もっともっと教育の場で学習しなければ・・・。

最後に、当日はこのフォーラと同時に、「全国薬害被害者団体連絡協議会」が発足しました。「薬害根絶」の実現の為、研究、提言、その他の活動に、一致団結して全力で取り組んでいこうとの声明文が読み上げられ閉会となりました。

薬害ヤコブ病訴訟に思う

運営委員

喜多 正明

運営委員の一人に加わってもらえないかと言われて、署名活動位なら、と思って入会した事がきっかけで、全国公害被害者総行動に参加しました。

東京での、薬害・公害などの問題を取り上げた全国公害被害者総行動は、はかりようのない悔しさと怒りをもった原告・家族の方々が参加されているにも関わらず、それぞれの痛みを分かち合い闘っている姿がとても暖かで、印象に強く残っています。

何が原因かも知らずに亡くなられた方、家族の方の悔しい思いを、たつた一人の原告の強い意志が、他の被害者を勇気づけ、各地で自主的に支える会が発足し、さらに世論を呼び、たくさんの会員の加入、真理の促進を求める要請署名も10万人を超えるまで集まりました。

よく知られている薬害エイズのときでもそうでしたが、厚生省官僚、製薬会社の利益の為だけに、どれほど多くの方が犠牲になり又、危険にさらされているかと思うと、より多くの方にこの訴訟の真意を知ってもらう必要があると思います。

この原稿を書いている時の新聞で知りましたが、厚生省は、万が一の危険性がある為、1980年〜96年までの間、英国への長期滞在者の献血を中止する。米国、カナダに引き続き・・・と掲載されていました。

汚染された輸入硬膜(ライオディラ)の時も、10年も前から米国では、その危険性が指摘されていたのに・・・

薬害ヤコブ訴訟も、三次訴訟にもなり、原告が増える事は悲しいですが、これからも、この訴訟の早期解決のためにがんばりたいと思っています。

あとがき

硬膜移植によるヤコブ病が薬害だとして提訴して早3年が過ぎ、支える会会員数も781名に、又審理の促進を求める署名数も 目標の10万人を超え101,052名になりました。引き続き署名活動を行っておりますのでご協力お願いします。

来る2000年は裁判も大きく進み、原告、支える会そして支援いただける会員様にとって良い年になりますように・・・

これからもご支援よろしくお願いいたします。